Don't cry baby,please !!

少女フェミニストの備忘録

「リベラル左派」フェミニズムと「フェミ勉」の進退

おはこんばんにちは、maiこと柳ヶ瀬舞です。

最近は充実した日々を送っています。とある賞に応募する短編小説を書いています。どうにかなってくれると嬉しいと思っています。どうにかなれ。

 

このブログ、更新頻度が少ないですが、Twitterで書ききれないことを書こうと思って始めたので、詳しくはTwitterをフォローしてみてくださると嬉しいです。

最近、自分の政治的な立場というか、自称していた説明しやすい、フェミニスト。というものに違和感を持ってしまい、どんな風に名乗ればいいのかわからなくなっています。

まあ私はわかりやすく言うと「リベラル左派」フェミニストと名乗っていたのですが、この「リベラル」と「左派」っていうのに違和感をもってしまい、使いたくないなーって今は思っています。

まず「リベラル」という考え方。リベラリズムフェミニズムが両立しないことは以前、ブログで言及させてもらったので、そちらを参考にしてください。

maix44.hatenablog.com

上記のブログは「リベラリズムは女性を『私的領域』という概念に無理やり押し込めた」っていうことが言いたかったことです。だからリベラル・フェミニストっていうのは成立しない。

「左派」って言葉も嫌いです、というか使いたくない。政治信念を右左っていうわかりやすい文字で表すのってナンセンスじゃないかなあと日々思っているのです。

歴史的にみたら、フェミニズムと左翼運動って相容れないっていうことが第二の理由です。学生運動は男性「だけ」を解放したって上野千鶴子さんがどっかで書いていましたね。結局、女性という存在はおざなりにされたのが事実。第二波フェミニズムはその影響を色濃く残しています。

わかりやすさでこぼれ落ちていく言葉を丁寧に掬い戻していくっていうのが大事なんだなあと思い、「リベラル左派」フェミニストって言うのは止めたのですが、どう自分の立場を説明すればいいのか。これだけの文字数を必要とするんで、どうしようと悩んでいます。傍流のフェミニストか。はたまた荒野のフェミニストか(ネタです)。結局のところただの(多くの誤解を招いている)フェミニストとして表記しています。多くのひとがわかりやすさを求めすぎているっていう状況にちょっと辟易しています。言葉を使うっていうのは難しいものだと思うのですが…。

 

フェミニストっていう使うのが難しい言葉に関しては以上です。

 

最近フェミ勉を主宰として開けていなくて、申し訳ないと思っています。すみません。フェミ勉をどうしたらいいか、悩んでいます。

話だけ聴きたい(マイクがない・多忙)という方が多くいらっしゃって、ニコ生でやるべきかどうか…みたいに考えてみたのですが、やっぱりskypeだけでやるべきなのかなっていうところで悩んでいます。

ジェンダーフェミニズムの知識の共有」を目的としたこの読書会的な勉強会的なフェミ勉。私は話し言葉を使いたいと思っています。話し言葉は書き言葉より縦横無尽に飛びます。そこを大事にしていきたいなあということ。

そして聴くことだけを目的とすると、参加者のみなさんの「話し言葉の強奪」にならないか、という点が大きいです。

その二点を踏まえて、とうぶんフェミ勉は凍結したいと思います。どっちも選べないっていうのは不自由・不便なことですね。申し訳ございませんが、どうぞご理解いただければ、と思います。

母性というファシズム――少女フェミニストの苦言

Metoo運動や女性専用車両アンチへのタグがTwitterで流行っていますね。これが一過性の流行りではなく、性暴力を失くす運動に繋がってくれればと思っています。

今回のブログは、非常にセンシティブで扱いづらい、母性とファシズムについて書こうと思います。

私のTwitterで起こったことをやっと文字化できると思って書きます。

私はあるアイドルを応援するためのサブカルTwitterアカウントを持っていました。アイドルを応援するためのアカウントだったので、政治的な発言も控えていましたし、する必要もないと思っていました。

そこで一瞬だけ浮き出た政治的、きわめて政治的な発言を今でもありありと想起させられます。

ある女性が「子どもに(性的)いたずらをするヤツは、死刑になればいい」と発言したときに「賛成。死刑にすればいい」というリプライがつきました。

私はこれにぞっとしました。

そんなこと当たり前じゃないか、というかた。どうぞもう一度考え直してください。私は性暴力の加害者を擁護したくてこんなことを書いているのではなく、本当は彼女に問いたかったのです。

「あなたのお子さんが性犯罪者になったときに、同じことを言えるのか」と。

私は一連のツイートで母性というファシズムを実感せざるをえなかったのです。リプライをつけた方はまさしく「お母さん」でした。

ここで私自身の経験を持ち出すのは卑近な例かもしれませんが、少し書かせてください。

小学生高学年のとき私は性被害にあいました。神社で遊んでいるときに「指を強く噛んでくれ」と言われ逃げられなくなってしまい、男性の指を噛みました(指を強く噛むことにどんな性的な意味があるのか、私は未だにわかりません)。

そのとき神社で遊んでいた親のいた5名くらい子どもは、親に守られていました。そのとき私は悟りました。「親と言っても『自分の子ども』以外を守ってくれる大人なのどいないのだなあ。私を守ってはくれないのだ」と。私の経験した性被害は守るのは「自分の子ども」だけというわかりやすい母性の表れかたをすることを悟りました。

時を経て、私はフェミニストになったのですが、この経験は私にとって根深いものとなりました。母性というありもしない幻想は信じちゃいけない。そしてそれを盾にしたときどんな悲劇が起きるのか、よく考えなくてはいけないと思うようになりました。

愚民社会

愚民社会

 

それは要するに「子どもたち」と言いながら、自分の子ども以外に、あるいは他者に普遍化できていないんです。西のほうが安全ということで広島に疎開した人間がけっこういますけど、それってかつて被爆地であった広島側から見るとちょっと無神経かもしれない、とは感じないのか。

(p.123) 

 この対談は3.11以降に行われた本の一部です。

私は大塚英志さんのこの言葉に実感をもって頷くことができました。私はTwitterで起きた事件はまさしく母性というファシズムだと確信しています。他者の存在を鑑みないで母性を振りかざすとき、それが国家という水準に無条件に結びついてしまうとき、日本はろくなことが起こらなかった。「銃後の母」(まさしく母性)という言葉がうまれたことも胸に留めておく必要があるでしょう。

ここである懸念――杞憂であればいいのですが――が生まれます。それは女性の分断です。子を持つ女性/子なし女性という分断が容易に行われてしまうということです。「あなたは子どもがいないから、切実な訴えがわからないのだ」と言われたら、私はその感情に対し理論展開ができなくなります。私が訴えたいのはそうではなく、性暴力を本当に根絶させたいなら女性同士が連帯する必要があると思います。それは母性ファシズムではできないと思っております。

母性というファシズムは母子の一体感と、他者を排除し、想像力を失うことだと思っています。これをつまびらやかにしたひとは少ないです。それだからこそ私は書かなくてはいけないと思いました。

たぶんTwitterで「死刑にすべき」と言ったかたは、それに賛同したかもそれがどんなに政治的な意見か、たぶんわかっていないと思うのです。しかし私を窒息させるには十分な言葉でした。

母性を持っていると自負されるかた。どうぞ自分の子どもだけを守るだけじゃなく、他の子どもも守ってあげてください。Metoo運動もアンチ女性専用車両へのカウンターも参加されてください。

再度、書きますが母性を振りかざした瞬間に母と子/それ以外の人間、という対立が生まれてしまいます。それは多くの他人を不幸にしてしまう可能性があることを忘れないでください。

解体される主体と愛の夢 ――2.5次元から少し離れて

今、私はアルスマグナから距離をとっています。なぜそういう状況になったのか私自身すごく困惑しました。しかし今はそれを言葉にできると思います。

 

その時は唐突に訪れました。

トーマス・マンの『魔の山』の上巻を読み終わった時でした。

魔の山〈上〉 (岩波文庫)

魔の山〈上〉 (岩波文庫)

 

 この小説はサナトリウムを舞台に第一次世界大戦前いかにヨーロッパが病んでいったかを書かれた小説であり、また時間の認識の仕方も書いている本です。

上巻が読み終わり背表紙を閉じたときに、私はアルスのことが頭に浮かびました。その瞬間にアルスとともに過ごした時間がヴィデオのように巻き戻されそして早送りされました。ほんの一瞬の出来事でした。

そしてレディオヘッドの代表曲である「CREEP」の何気ない一節、I do't belog hereという歌詞が思い浮かび、私はアルスのファンを、少なくとも公言することを辞めるべきだと思いました。

Creep

Creep

 

 

I do't belog hereの訳は「ここは私の居場所じゃない」「ここにいない」などと訳されますが、わたしは「ここに属していない」というふうに訳します。私はアルスに属していない。またファンダムの世界にも私はいない、と思い焦りました。

あれだけの時間を費やし、あれだけの空間を共有したのに。夢が終わるときは本当に一瞬なのだな、と冷静に思いました。そしてアルスから離れることこそが夢で、私はまた違う夢を見ているのでは、という胡蝶の夢ではないだろうかと思いました。

私にとっては大きな転換が予兆もなくたった一瞬でなされたことが震えあがるほど怖く、そして諦めに似た、覚めるできときが来たのだなという思いが駆け巡りました。

私はアルスマグナを通して、見るべきものを見、聴くべきことを聴き、感じるべきことを感じ、考えるべきことを考えました。その時間はまさしく「愛の夢」であり、幸せでした。苦悩すら愛おしいくらいに。

話は変わりますが、つねづね今を生きるひとという主体は解体されているのだなと感じています。

「男性らしさ/女性らしさ」「文化/自然」「異性愛/同性愛」「公/私」「善/悪」「快楽/苦痛」etc。矛盾するふたつの間を綱渡りのように、均衡を保って少しづつ歩んでいる、と。私も例外も漏れずそのひとりだと思います。

ふたつに引き裂かれる状況に耐えられない、と私は感じました。多くのひともまたその状況に耐えられているとは思いません。みんなどこかに「ライナスの毛布」を持って現実に立ち向かっている、と私は実感しています。

私はアルスマグナにハマる前はとても張りつめていました。私は私の小説を書けないということに苛立っていました。バランスを保てない状態で、私は綱が切れたように落ちて行ったのが、アルスマグナという「沼」でした。

その「沼」はもしかしたら、違法ドラッグだったかもしれなかった、危険な新興宗教だったかもしれなかった。簡単に抜け出せない、まさしく沼が、アルスマグナで良かったと思っています。法律では禁止されてはいなし、害は少ないからです。

そのアルスの「沼」の中でも私という主体は引き裂かれていました。「現実/夢」「愛/憎悪」「資本制/反資本制」ここでも「快楽/苦痛」etc。

分け隔てられ、どこまで行っても交わることがないふたつたち。でもそれが私の本質であると確認して、受け入れられたのが、紛れもなくアルスマグナという存在でした。

ライナスの毛布」はいつか手放さなされるときが来ます。私の手放すときは、上記のときでした。私にとってアルスマグナはまだまだ愛する存在です。でも毛布がなければ感じることも、考えることもできないという状況からは、脱することができた/脱さなけらばならなかった。

私はアルスのおかげで二元論のなかを再び泳げるようになりました。二元論の与える重圧が心地よいと思えるくらいに。

「イン(陰)とヤン(陽)。光は暗闇の左手……これはどういう意味だろう? 光、暗闇。恐怖、勇気。寒、暖。男、女。これはあなたのことだ、セレム。二人であり一人である。雪上の影」

アーシュラ・K・ル・グィン 『闇の左手』(p.321)

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))

 

  ふたつに引き裂かれた私はひとつであるということ。私に再びそれを気づかせてくれたのがアルスマグナ。私は愛おしい気持ちとともに、懐かしさを感じて彼らを応援したいと思っています。

5月7日の文学フリマ東京に出展いたします。

みなさん、おはこんにちは。管理人のmaiです。

今月は宣伝ですみません! 文フリ東京に参加を致しますので、そのことに関して書かせて頂きます。

スペースはエ 37となっております。どうぞ皆さんのご来訪をお待ちしております。

f:id:maix44:20170416032216j:plain

『Le Baiser de Lis』 500円 

渋谷センター街から少し離れたところにある、女性限定のバー・Le Baiser de Lis。 Le Baiser de Lisではさまざまな女性の感情が交差する。 百合短編連作小説集です。

収録作品
Apéritif ヴァン・ショー
Un ジントニック
Deux ロングアイランド・アイスティ
Trois ジャックローズ
Quatre コロナ・ビール
Cinq ウィスキー・オン・ザ・ロック
Six レッドアイ
Sept マティーニ
Huit マルガリータ
Neuf ミスティ
Dix アラウンド・ザ・ワールド
Digestif マスターの多忙な一日(書きおろし)

A5/オフセット本/96ページ
発行日 2017年 5月 7日
印刷 ちょこっと製本工房さま

f:id:maix44:20170416032142j:plain

『残響、消えるまで』 300円

待つこと。
祈り
ジャスミンの花
残響、消えるまで(書きおろし)

A6/オフセット本/70ページ
発行日 2017年 5月 7日
印刷 ちょこっと製本工房さま

 

既刊の『CLUB NAKED』も頒布予定です。

また、通販も予定しております。5月7日以降にてBoothにて通販予定です(pixivIDが必要となります)。

donotcry.booth.pm

どうぞよろしくお願い致します! 会場で皆さんにお会いできるのを楽しみにしております。

ワンピース・フリーク

おはこんにちは、maiです。明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

ということで、セールに行ってきましたよ。徹夜2日目で行くものではありませんね。思考力が低下して要らないものを買ってしまいます。ワンピース一着しか買っていないのですが。

確か去年もジル・バイジルスチュアートでピンク色のワンピース買ったよね。その後アース ミュージック&エコロジーでもベージュのワンピース買ったよ……と思い出しても後の祭。私のクローゼットにはざっと20着くらいワンピースがあります。

ワンピース。それは重ね着をしなくて済むおめかしアイテム。一着で万能なお洒落を演出してくれる楽ちん&経済的なお洋服なのです。

普段はオリーブ・デ・オリーブ(わからないひとにご説明すると、10代後半から20代前半向けのブランド。私はマーケティング外ですが、でもZARAなんかより手ごろで色やデザインを選べばまだ着れます)のセーターにユニクロヒートテックのGパンですが、ワンピースを着ればアラ不思議。あっという間に淑女のできあがり。やっぱりおめかしは楽しく楽してなんぼですよ。

ワンピース一着一着思い入れがあります。19歳のときに初めて好きなブランドで買った裁断の不思議な茶色の夏用のワンピース(「この大学にもこんな格好をする人がいるんだ」と友人から褒められました)。グレーのウール100%のカクテルドレス(太って入らなくなり、今は他の人に着てもらっています)。夏用の深い緑色のワンピース。アールデコっぽい柄がプリントされた絹100%の水色のワンピース。兄に買ってもらったレース付きのワンピース。前後逆にも着れるワンピースetc…… そんなワンピースがごっそりとあります。

今日は少し足をのばして、18歳の高校生のときに青いシャツを買った思い出のショップに行ってきました(移転してから数回しか行ってなかった)。

涎が出るのを抑えられませんでした……。素晴らしい!! いつかお金持ちになったら買い占めたい!! アイテムをチェックしながら、前よりデザインがすこし変化したかなあとか、素材は前と変わらないとかいろいろチェックしていました。

私は素材は食べられる動物の皮・毛皮ならOKという基準を設けています(アストラカンやハラコはNG)。豚皮のショルダーバッグやらうさぎのファーつきコートなど。

手縫いの刺繍入りストールめっちゃ可愛かった……。そして極めつけは金木犀の刺繍入りのスカジャン風ジャンパー。可愛くて中綿が入っていて、温かそうでした……。

今回そんな強豪を押しのけて紺のAラインのワンピースを買ってきました。ウール100%のシンプルなもの。めっちゃ温かく、ぽっこりお腹も隠せるデザインでした。黒か紺かどちらにしようか迷ったのですが紺を購入しました。紺の方がシルエットが甘めです。

 

このブランドを愛着して早10数年。とにかくお高いのがネックです。でも19歳のときに買った夏用の綿麻のジャケットは未だに来ているし、ワンピースはほとんどが現役です。

ということでそのブランドをダイレクトマーケティングしたいと思います。

www.merveilleh-eshop.com

素材にこだわり、デザインにこだわり、着心地も良い。そんなブランドです。

さて、このウールのワンピース、いつ着て行こうかなあ。

12月3日フェミ勉レジュメ 『女嫌い ニッポンのミソジニー』  ⑤児童性虐待者のミソジニー~⑧母と娘のミソジニー

●児童性虐待者のミソジニー
加害者に同一化するだけでの快楽は浅い。被害者の痛みにも同化できるからこそ、快楽はより複雑になり深くなる。
●皇族のミソジニー
正当性には正当性を与えるものが必要。
創設婚→MBD婚(豪族との結婚)→FBD婚(皇族との結婚)
神武~允恭までは、皇后腹が優先される。安康~持統まででも皇后腹の天皇は20代のうち、7人にのぼる。
天皇の娘は、同族の男と結婚しない場合、斎宮制度を通じて神との盟約を結び、スメラミコトの外部性は保証される。
なぜ創世神話の祖神は女性か?
王権の正当性には外部が要り、その外部を表彰するのが女だからである。
女が殺される可能性が最も高い相手は、夫や恋人である。
女のマスターベーション・シーンがポルノの消費者としての男に性的刺激を与えるのは、その不在の男根の位置に、みずからの男根を象徴的に代入できるからである。
●近代のミソジニー
女という選択されたカテゴリーを選択に変える。そのなかに解放のカギはあるだろう。
●母と娘のミソジニー
ステージママ。
女性性とは、それ自体がメランコリックなのだ。
母を憎むだけで、娘は自分を人非人のように恥じなければならない。なぜなら母は抑圧者でありながら、犠牲者だからだ。
母が母でなくなって初めて、彼女は母親と和解する。

11月5日フェミ勉レジュメ 『女嫌い ニッポンのミソジニー』 ①「女好きの男」のミソジニー~④「非モテ」のミソジニー

①「女好きの男」のミソジニー(p.7~21)

 ミソジニーとは何か

ミソジニー=「女性嫌悪」・「女性蔑視」・「女性憎悪」 あまりにも自明であるため意識されることすらない 

 

 吉行淳之介永井荷風

吉行淳之介の小説=究極の男性支配を言語的に遂行したテキスト 奥本大三郎「しかし、女性嫌悪思想の持ち主というのは、どうしても女に無関心でいられないのか、その弱点なのである」=男性としての性的主体化をとげるためには女という他者に依存しなければならないという背理に彼らが敏感だからだ=自分を性的に男だと証明しなければならないたび、女という理解を越えた生き物にその欲望の充足を依存しなければならい男の怨嗟

男は内心どこか女なしでやっていきたいと思っている

吉行の小説=描かれているのはリアルな女ではなく、女に対する男の妄想

性の相手が多い場合=権力と金力の誇示

反俗を気取った「性の探求」小説=おどろくほど通俗的なポルノの定石どおりに展開される ポルノグラフィの到達点=女の快楽

性幻想をまきちらかした戦犯のひとり 吉行の作品を読んで女はわかるか?→女とは何か、何者であるべきか、何者であってほしいかについての男の幻想について­=「オリエンタリズム」に共通する

永井荷風=「女性嫌悪思想に連なる作家」 女を別人種と見なしていた

 

 女から逃走する男たち

男の作品を「男の性幻想についてのテキスト」として読めば学ぶことはある

性文学における女とは男の内面が成立する私的な場所

近代女性文学には男という幻想が希薄なことが特徴

対幻想は男の見た夢だった。

 

ホモソーシャルホモフォビアミソジニー(p.23~35)

 男の値打ちはなにで決まるか?

女の値打ちは男に選ばれることによって決まるが、男の値打ちは女に選ばれることによって決まらない=異性愛の秩序は非対称

男は世界の覇権ゲームが好き 覇権ゲームに勝者になれば女は後からご褒美として自動的についてきた 例)昔のホリエモン 

男同士の強い絆=ホモソーシャル

 

 男の連帯の成立条件

ホモソーシャル=「性的であることを抑圧した男同士の絆」

フロイトの「なりたい欲望」と「持ちたい願望」とを異性の親にそれぞれ振り分けることに成功した者が異性愛者になる

同性愛者=「なりたい願望」と「持ちたい願望」の性分化に失敗した者

「あの人のようになりたい」と「あの人を自分のモノにしたい」とは重なり合う=ホモソーシャルのなかにはホモセクシュアルな欲望が含まれ、連続体である

男の歴史は「なりたい欲望」と「持ちたい欲望」の調節に苦労してきた歴史。例)古代ギリシャ

ホモソーシャルな連帯とは性的主体と認めあった者同士の連帯である

ホモソーシャリティホモフォビアによって成立する 女を客体化することを互いに承認しあうことによって性的主体間の相互承認と連帯が成立する

女を自分たちと同等の性的主体とは決して認めない、女性の客体・他者化=ミソジニー

ホモソーシャリティは、ミソジニーによって成立し、ホモフォビアにとって維持される

 

 男は性について語ってきたか

猥談­=男として「性的主体」であるか相互に確認する儀式

男は本当に性について語ってきたか? 問題

男が「男になる」ための同一化と排除はひとりではできない 「差別するのは三人の人間がいる」「差別とは、ある人を他者化することによって、それを共有するある人と同一化する行為である」=性差別の定義にも当てはまる。

 

③性の二重基準と女の分配支配――「聖女」と「娼婦」という他者化(p.37~52)

 ジェンダー・人種・階級

「しょせん、人種がちがうのよ」=わかりあえないとき、わかりあう努力を放棄したとき

サイード:相手を理解不可能な存在として放逐する様式には人種化とジェンダー化のふたつがある 『オリエンタリズム』=「東洋とは何かについての西洋の知」 例)『蝶々夫人

ジェンダーと同じく「人種」も歴史的構築物である=「白人でない者」を排除することで「白人であること」を定義するための装置

トニ・モリスンの指摘:『ハックルベリー・フィンの冒険』でハックの「白人性」の確認のために黒人の逃亡奴隷が不可欠な役割を果たした→「いかにしてほんものの白人アメリカ男性が生まれるか」についての国民的物語・シンボル 白人たちが無自覚なため黒人女性によって白人研究がなされる。

明治時代:「上等人種/下等人種」=「上流階級/下流階級」 例1)娼婦は「下等人種」のなかからうまれ、生来「淫乱」だからだ。  例2)植木枝盛の言行不一致=階級による女の二重基準

 

 「聖女」と「娼婦」の分断支配

ミソジニーのアキレス腱=母 ミソジニーには女性蔑視と女性崇拝の二面性を持っている←性の二重基準

ミソジニーの歴史:近代家族の形成期に産業としての売買春が成立している

性の二重基準=男向けの性道徳と女向けの性道徳が違うこと その結果・女性を二種類に分割 生殖用の女/快楽用の女 そしてこの快楽は男側の快楽である

「分割して統治せよ」=男による「聖女」と「娼婦」の分断支配 例)日本人慰安婦と非日本人慰安婦 例2)国防婦人会の「白い割烹着」

女のセクシュアリティは生殖向きと快楽向きとに分断・対立・疎外されてきた 抑圧と搾取

 

 性の二重基準のディレンマ

性の二重基準→男側にも悲喜劇がうまれる 性の対象として見るか/みないか 愛しているからセックスしないできない?

植木枝盛の言行不一致=用途別使い分け 「身分」は越せない「人種の壁」だった 揺るがない正妻の座

「聖女」と「娼婦」の分断支配への日本での告発=ウーマンリブマニフェスト田中美津の「便所からの解放」

生殖テクノロジーのもとでは「性欲処理機械」/「産む機械」→マーガレット・アトウッド『侍女の物語』が現実に 人工授精・代理母ビジネス

男たちが震撼したのは「しろうと女」と「くろうと女」の垣根が(ほとんど)なくなったことであり、「しろうと女」に性的価値があることを「発見」した

 

④「非モテ」のミソジニー(p.53~72)

 「性的弱者」論の罠

宮台:「セックスの相手を見つけるシステムが『自由市場化』すればするほど、多くの男たちが性的弱者としてあぶれるようになる」

女性の性的弱者は「性の市場」にプレイヤーとして登場すらしない 知的障害を持った女性は女であることを剥奪される一方で、セクハラの対象になる

性の市場に登場するプレイヤーにはジェンダーの非対称がある

「性的弱者」論:弱者は社会現象であり、弱者を弱者たらしめているのは社会の側だから、社会側に救済の責任がある *女性側には反転しない

赤木智弘:自分たちのような性的弱者をキャリアウーマンは「主夫」として養う義務がある 強者男性>強者女性>弱者女性>弱者男性

「性的弱者」論=自由市場を怨嗟・性の自由市場をいくらかでも前提として認める議論は全て「強者の理論」となる

 

性の自由市場

山田昌弘:性の自由市場では「魅力資源」は不平等に分配されているが、社会的資源だけに還元されるわけではない。「魅力資源」は交換価値ではなく使用価値で測られる

性の市場が規制緩和→男にもまた「対人関係の技術」が要求されるようになる

高度経済成長期に日本で初めて「再生産平等主義」=「全員結婚社会」→結婚せずに生きていく選択肢がなかった時代の別名

 

 秋葉原事件と「非モテ

非モテ」が「男性問題」としてとらえられる→2008年の秋葉原無差別殺傷事件 凶行の原因に「非モテ」 K君は努力しても変えがたいルックスを非モテの原因にしていた

性的弱者:現実の女性からかけ離れた「女とは何か」についてほとんど妄想の域に達した固定観念を持っている 「モテ」と「容姿」こそが人生最大の問題・格差社会の根本に位置する

性的弱者である男性は恋愛市場から降りる特権すら持っている 「男から選ばれないおまえは無だ」/「女から選ばれないおまえは無だ」のジェンダーの非対称性

性的弱者:「彼女がいること」がすべてのマイナスから自分を救ってくれる逆転必勝の切り札

「彼女さえいれば」オレは男になれるのか問題→男は男同士の集団のなかで正式なメンバーとして認められることで初めて男になる 女は加入資格ための条件・ご褒美 彼女がいる=女ひとりを所有する 社会的要因を優越していても「女ひとりモノにできな」男は値打ちが下がる

男にとって女の最大の役割は自尊心のお守り役

 

 格差婚の末路

藤原紀香陣内智則の格差婚→DVを理由に離婚

勝間和代の女性がインディであるための三条件:❶年収600万円稼ぐこと❷自慢できるパートナーがいること❸年をとるほどすてきになること ❷の「いい男」の条件に「年収1千万円以上」=「女の年収に対しそれくらいの年収がないと男のプライドがもたない」

 

 「男性保護法」の反動性

三浦展:「非モテ」が現代の男性にとって死活問題・「男性保護法」を提唱

いい女=男につごうのいい女・男性を奮い立たせる女性・母性を感じさせる女性 恋愛と生の自由市場化」に反対→メリットの最大受益者は男性

 

 「男になる」ための条件

現実に、現実の女に興味があるなら、対人関係を持とうと努力するほかない コミュニケーション・スキルが問われる→コミュニケーション・スキルは他の資源のように計量したり蓄積したりできない

三浦:「かつては学校や職場では男性同士がうまくコミュニケーションできればそれでよかった」

友人関係を維持するには高いスキルがいる 定型のない関係へのシフト