Don't cry baby,please !!

少女フェミニストの備忘録

2.5次元に恋をして そもそも論と先輩フェミニストたち

みなさん、おはこんにちは。推しのイベントに二週連続行けなくてハンカチを噛んでいるmaiです。

私としたことが、うっかりしていたのですが、なぜ「2.5次元コスプレダンスユニットに萌える・好きになる・消費することが悪いことのように書いているの?」という基本的な問題について一切言及していなかったことに気がつきました。本当に暴走にしか見えない…ハズカチイ。今日はそこらへんを明らかにしつつ、フェミニスト(女)がいかにアイドル(男)を見ているかについても書いていけたらいいなあと思います。

アイドルっていうのはまず女性であることだったんですよ、昔は。語源は『アイドルを探せ』“Cherchez l'idole”(1963年の映画)の「idole=偶像」って意味からアイドルって言葉は生まれました。この映画ではフレンチポップの女王・シルヴィ・ヴァルタンさん、ミレーヌ・ドモンジョさん美しいアイドルが出ています。

語源はこのくらいにしていおいて。つまり「(異性愛者)男性が見る主体として女性を消費する悪しき文化」だとフェミニストの私は肌で感じて来てたわけです。なので私の母が韓流観て号泣しているときも冷静でしたし、知人がK-popにハマっていても何が良いのか正直よくわからなかった。TVで騒がれるAKB総選挙なんてフェミ的にはアウトもアウト(私の家にはTVがないので何が起こっているのかすらTwitter見ないとわからない)。しかし厳然と沼はありました。ハマるのは一瞬すぎて、本当に恋に落ちるのと同じくらいポチャンとハマってしまいました……そしてその沼は深い……。

つまり「(日本のAKBが好きな異性愛者)男性」と私はフェミニストとして同じことをしていない?という視線の内部化はね、当たり前だと思うのですよ。自分でアウトと思っていたものが、甘美な果実になるっていうのは引き裂かれた自己っぽくてツラいんです。

フェミニストが24時間フェミニストしているわけでもないし、そもそもジェンダーの非対称性から男性的な消費の仕方から違った愛の表象システムがあるやもしれん、というのはブログでも書いた通りなのですが、まあ難しいんじゃないかなーというのが、実感です。

そんななかでフェミニストと名乗る先輩方ふたりを今日はご紹介したいと思います。

①『さよなら、韓流』を書かれた北原みのりさんの「韓流欲望史」

北原さんは非常に率直にかつ無邪気に「韓流はエロス」って言いきっていますね。だけれども正直その欲望がどこから来て、どこに行くのかとかはあまり考えてらっしゃらない。むしろ「韓流・韓国の男性はこんなに格好いいのに日本の男性は……」という分断を行っていて一昔前の日本人男性と同じ言説に陥ってしまっていて、ちょっと私としては頭を抱えてしまうなーと思っています。確かに無邪気でいられる瞬間って大人になるとなかなかなくなってしまいます。それがアイドルを通してであろうと、なんであろうと、女性ホルモンは活性化するのはわかります。でも「日本/韓国」っていう分断統治の考え方って本当に危ういし、アイドルを消費する以上に男性的な思考回路に陥ってるんじゃないかな、と心配です。実はネタバレしか読んでないんですが……。すみません!

 

さよなら、韓流

さよなら、韓流

 

 

 

②元祖・少女フェミニスト 資本主義と戯れた上野千鶴さんの『発情装置』

もっと早くブログで取り上げるべき人物な上野千鶴子さん。上野さん自体はアイドルいう存在に関してなんら言及をしていないのですが。資本主義とマルフェミ(マルクス主義フェミニズム)をうまーく両立させた稀有な存在として今回取り上げさせてもらいます。

そもそもマルフェミとは。ご著書『資本制と家父長制』では「盲信的にマルクスの著作を読むのではなく、よりよいマルクス思想のためにマルクスの著作を誤読する」っていうアクロバティックな考え方。私の記憶が正しければ上野さんは東大の最終講義で「私はマルクス主義フェミニストです」と言っていたはず。まあそんなごりっごりなマルフェミである上野さんが資本主義とお戯れになっていた時期の著作が『発情装置ーエロスのシナリオ』なんです。

 

発情装置―エロスのシナリオ

発情装置―エロスのシナリオ

 

 たぶん、私が一番すきな論文集です。どこら辺が資本主義と戯れているかっていうと。性の自己決定権とブルセラ論。また買売春論なんかを主に展開しているんですよね。また個人的ともいわれる、対幻想へのアンサーは初読20歳そこそこの小娘からしたらやっぱり衝撃的でした。視線の政治学もまた今だから読み返したい論文ですね。

つまりゴリゴリのフェミニズムの論文を書くためには、資本主義を目の敵にするだけじゃなくて、戯れることも必要だったということなのかな。つまりはバランスなんです、というこを上野さんは言いそう……。本当に危ういバランスなんですけどね。

久しぶりに『発情装置』をペラペラと見返していたら、やっぱり読み返したくなってきたー!

ということで、今回はこの辺で。

追記・今度のフェミ勉でアイドル論をやりたいと思っています。おススメの文献がありましたら、教えてくださいませ!!

2.5次元に恋をして 愛ある消費(?)

おはこんにちは、今日も推しが可愛く、空気が美味しいと感じるmaiです。

こんなに推しが愛おしいと感じると一種の信仰だよなあと悟りつつある昨今。アルスマグナはやはり期間限定のユニットだからいつか失われるときが来て、それが怖いから今いける現場があれば多少、無理してでも行くという、策略にはまりつつあります。原理主義者にならないように気をつけたいと思います。

今日は資本主義とアイドルについて考えていけたらなあと思います。

私はアイドルにハマるっていうことが理解できなかった人間なんですが(過去形なのが悲しい)、まず岡崎京子さんの『ヘルタースケルター』が頭に浮かんじゃって。人間を消費することは良くない、という価値観を刷り込まれてきました。

 

ヘルタースケルター (Feelコミックス)

ヘルタースケルター (Feelコミックス)

 

 

人間を消費しているっていう感じがあって、アイドルって身を削ってそれを商品にしているんだなあと思うと他人事じゃなくて、もっと消費する側もせめてもリテラシーやら倫理やら道徳やら礼節を持たないといけないという自意識があります。

そして。初めて参加したアルスマグナのイベントが「ミニライブと握手会」というもので。ちゃっかりメンバーの皆さんと握手しつつ、冷静な頭で「これって買売春とどこが違うのかしらん?」と思っていました。違うと言ったら確かに違う。アルスは合法的に・職業としてその身体を使っているわけだし、別に性的な接触を要求されているわけではない。しかし需要があって供給として(性的じゃないとしても)接触するというのはどこか買売春の匂いを感じさせるんですよ。それでも握手はするけれど。

「別に難しく考える必要なくない? 商品が並んでいたら買うでしょう? アイドルってそういうもんでしょう」とよく諭されます。

確かにアイドルを応援するなら、そのアイドルにお金を落とし、貢ぎ、搾取されることすら快感を覚えるべきである、と思う。けれども愛ある消費っていうのが本当にあるのかなあということが気がかりなのです。

つまり家父長制と資本制が不幸な結婚をして以来、市場っていうのは女を排除してきたわけで、その市場で自分好みの商品が売られているからと言って、無邪気に市場の軍門に下るというのは屈辱的なんですよね。

つまり私はフェミニストとして「自律している」市場には愛がなく、ヴァルネラブルな存在にこそ愛があると思っていたのですよ。

大きな意識の変換を求められて、今も正直、戸惑っています。

お金で「私があなたに存在してほしい」と言うこと・表明することは可能なのか、ということです。愛なんて関係ない私がATM化すればいいと市場原理主義者は言うと思います。確かに市場の存在だけを考えればそれが正しいでしょう。でもマーケットの外にある事象・出来事を考えると、接触イベントのときどうやって愛を伝えるかが、難しくなる。アルスにこんなに貢いでいます、お金を落としていますと言うのは無粋そのもの。私にとってアイドルとは、アルスマグナとは公的領域と私的領域の間に存在する非常に脆いものだと感じるんですよ。だからこそ愛がある消費という矛盾した言葉が成立するのです。

愛ある消費――それは「(女性による女性のための)愛のポルノグラフィ」(byジョアナ・ラス)と同じくらい矛盾をはらんでいるということです。

私は先日、書いたジュディス・バトラージェンダー・パロディ論つまり簡単に言うと、男性的な行動を女性がとってみせること、は結局男性性を強固にするように感じてしまうのです。萌えが脊髄反射ならば、動物化しているのならば、なおさらジェンダー・パロディは意識されず、ジェンダー・ロールの再生産になってしまう可能性の方が大きいのでは? と思います。

閑話休題。愛ある消費っていうのがいかようにできようか、と本当に手探りで、ちゃっかり握手なんかもしつつ、推し事を楽しんでいるわけですが(今回のリリースイベントは行けないのが悲しい)、どのように愛を伝えようか、と日々悶々としているわけです。まあ目の前に推しがいたら、変な声しか出ないんですが、これだけ私にとって私の推しという存在を考えているよ、というのは愛の証左とも思うんですけどね。でも、もしアルスのメンバーがこのブログ見たら速攻にブログの存在も消します。ツイッターも消します。私の自意識は私の問題だからです。愛する相手に自意識をすべてぶつけるのは幼いですよと思って、愛って本当に難しいね。本当にみんなアイドルのことどう愛しているのか、誰か教えて欲しいです。

 

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)

 

 これ読めば少しはわかるのかな? 濱野さんのこの本、ちょっと気になっています。アイドルは偶像っていう意味だから、あるアイドルを推すということは、メンタル面では本当に一種の信仰です。

2.5次元に恋をして ジェンダーの攪乱

みなさん、おはこんにちは。今日も推しが可愛くご飯が美味しいmaiです。

 

一か月以上ぶりにブログを書いています。文フリの直前くらいから体調を崩していて、なんとかここ一週間で立て直ししてきました。ちょうど今の時期に病気を発病したので、まあ仕方がないよね……と諦め気味でしたが、お薬を調整しつつ、推しアルスマグナに会いに行ってます。本当に推し事しかしてません。読みかけの本はそのまま……。

アルスマグナに関するとほかのオタクの人たちと変わらず語彙が少なくなります。でもまあこのブログを読んでいる人たちにアルスマグナへのノロケ(泉奏くんの後ろ髪の毛の跳ね具合に萌えるよね等)語ってもしょうがないので、ちょっとフェミの視線を混ぜて2.5次元コスプレダンスユニット・アルスマグナについて語っていきたいと思います(フェミ勉を開催できずに申し訳ありません。体調が落ち着くまでもう少しお待ちください)。

 

今日、推しアルスマグナの現場でふと気がついてしまったのですが「私が見ているアルスマグナのメンバーの身体は、私が『見られる身体』を持つ女の復讐ゆえに見つめているのでは?」問題に繋がりました。

まあよくある「男性/女性」を「見る主体/見られる客体」を男女逆転させただけで、ミソジニーの反復じゃないかなあと思ったのです。つまりアイドルっていうのは、アイドルが見られる身体を持つゆえにその中にはミソジニーが根底に影を落としているのでは? そして「見られる客体」から逃避するためにアイドルを消費しているのではないだろうか、と。

けっこう深刻な問題で、なんか自分の自意識ってここまで広がるのかと思いました。そして困ったときのジュディス・バトラーさんの登場です。

バトラーは『ジェンダー・トラブル』で性を三つに分けます。まず➀解剖学的なセックス、そして②社会的な生であるジェンダー(ここまではジェンダーの入門書とかに書かれていますね)、そして③ジェンダー・パフォーマンスっていうのが追加されます。

ジェンダー・パフォーマンスとはどんなものか。ジェンダー・パフォーマンスとはジェンダーに規定された行為・行動を示し、日本語に訳すと「性役割による行動」って感じになるのかな。

私は①、②ともに女性ですが、③のジェンダー・パフォーマンスが「男性化」しているのでは(「見る身体を持っている」)? ということになります。この③の「ジェンダー・パフォーマンス」の男性化だけ見ると、確かにいかがなものか、というわけですが。

果たして「本当に男性は『見る主体』なのか?」とバトラーさんなら言うでしょう。つまり先にあったはずの②ジェンダーを③ジェンダー・パフォーマンスによって解体する。そして「『女』が見る主体」というジェンダー・パロディは「『男性』が見る主体」であるというオリジナルの概念そのものを変えてしまう。

ということで、ジェンダー・パロディについてバトラーさんが言いたいことを『ジェンダー・トラブル』から抜粋。

たしかにこのパロディ形式のなかで採用されているジェンダーの意味は覇権的な女性蔑視の文化の一部をなすものではある。だがパロディによる再文脈化によって、そのようなジェンダーの意味は脱色され、流動化される。起源あるものの意味を結果的にずらしていく模倣として、それらは起源という神話自体を模倣するのである。

 『ジェンダー・トラブル フェミニズムアイデンティティの攪乱』ジュディス・バトラー著 竹村和子訳 p.243

 

つまり「『女』が見られる客体」であるっていう起源・神話を模倣・パロディによって変えてしまおう、というのがバトラーさんが言いたいことなんですよ。「『女』が見る主体」は新しいジェンダー・パフォーマンス、いいんじゃない? と。これで半分くらい溜飲がさがるんですが、まだ足りませんね。

 つまり「『女』が見る主体」は復讐か否かっていうところになるんです。

 これは理論的に説明できなくて、私の実体験からなんですが。ちょうど推しを見に行ったときの映像に私が映っていたのですよ。もうね、おめめがキラキラしてて「私こんな顔もできるんだ」と映像を観て他人事のように思いました。

 ルサンチマンは確かにある。でもそれは2.5次元にハマることによってかなり昇華されているんじゃないかな、と。少なくとも、私はルサンチマンで殺人を起こしたりする可能性は限りなく低くなっていると思うのです。本当にアルスマグナを見つめているだけで、日々の澱やら濁りやらが浄化されていきますね。知人のブログで「アイドルにハマるときは心が疲れている」っていう文章を見つけたのですが、まさしくその通りだなと思います。推しが生きて動いているだけでもう私はお腹いっぱいです。

 

「アイドルの身体を消費する」ことの壮大なエクスキューズのような文章になってしまったけれど、まあ書きたいこと書けたからいいや。

つぎに生でアルスマグナに会えるのは、夏ツア―かなー。東京2days参戦します。

夏が来るのが楽しみになったのはアルスのおかげです。

近々、百合についても語れるように頑張りまっす!!

5月7日の文学フリマ東京に出展いたします。

みなさん、おはこんにちは。管理人のmaiです。

今月は宣伝ですみません! 文フリ東京に参加を致しますので、そのことに関して書かせて頂きます。

スペースはエ 37となっております。どうぞ皆さんのご来訪をお待ちしております。

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『Le Baiser de Lis』 500円 

渋谷センター街から少し離れたところにある、女性限定のバー・Le Baiser de Lis。 Le Baiser de Lisではさまざまな女性の感情が交差する。 百合短編連作小説集です。

収録作品
Apéritif ヴァン・ショー
Un ジントニック
Deux ロングアイランド・アイスティ
Trois ジャックローズ
Quatre コロナ・ビール
Cinq ウィスキー・オン・ザ・ロック
Six レッドアイ
Sept マティーニ
Huit マルガリータ
Neuf ミスティ
Dix アラウンド・ザ・ワールド
Digestif マスターの多忙な一日(書きおろし)

A5/オフセット本/96ページ
発行日 2017年 5月 7日
印刷 ちょこっと製本工房さま

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『残響、消えるまで』 300円

待つこと。
祈り
ジャスミンの花
残響、消えるまで(書きおろし)

A6/オフセット本/70ページ
発行日 2017年 5月 7日
印刷 ちょこっと製本工房さま

 

既刊の『CLUB NAKED』も頒布予定です。

また、通販も予定しております。5月7日以降にてBoothにて通販予定です(pixivIDが必要となります)。

donotcry.booth.pm

どうぞよろしくお願い致します! 会場で皆さんにお会いできるのを楽しみにしております。

2.5次元に恋をして 萌えという原罪

みなさんお久しぶりです。maiです。

推しの武道館ライブが迫ってきていろいろと準備に追われております。

ということで、3月28日はアルスマグナさんの2度目の武道館ライブ、全国生徒決起集会の日です。

私は基本的に百合好きなんですが、なんで男性グループにハマってしまったのかよくわかりません……。本当に沼ってどこにあるかわからないから、怖い……。

簡単にアルスマグナの説明を。

私立九瓏ノ主クロノス学園」の高校生4人と教諭1人、およびぬいぐるみで構成されるダンスユニット。主にニコニコ動画の踊ってみたで活動し、2011年に結成。

まあ長々と説明するよりもダンスを観て頂きたいですね!

代表作の「ギガンティックO.T.N」踊ってみた。

 

私の一番好きな「クラウドライダー」踊ってみた。

 

私は昨年6月からハマりました。一度も入ったことのないファンクラブに入り、一度も書いたことのないファンレターを書き、滅多に行くことのなかったライブに入り浸る……。アルスマグナ恐ろしい子……!!

なるべくグッズとかには手を出さないようにはしているのですが、それでもアルスマグナ関係のCDは4枚、DVDは7枚所有、ペンライト2本、マンガ・ノベライズ3冊、タオル1枚(これはかなり少ない方だと思われます)。

なんだろうね、もうアルスに会えるだけで、元気に踊っている姿をみるだけで、ありがとうと言いたくなります……。尊いという言葉がぴったりきます。

私も東浩紀さんの言う動物化してしまったのか……と感慨深いです。萌えというのはやはり条件反射で、それに反応してしまったら、ずるずると沼に落ちていくしかない。

いくら「コスプレ」ダンスユニットと言っても、生身のひとへの萌えっていうのは申し訳ないと思います。でも好き……という二律背反な感情を持て余し、まさしく少女期のような気持ちにさせられます。萌えはオタクの原罪です、本当に。

私は相手が応えられないのであれば、その感情は諦めるか押し殺すべき、と考えているのですが、アイドルっていうのはそういう感情をすごい勢いでバキュームしていく存在なのかもしれないなあ、と考えています。そのなかでも節度やマナー規律とかがあって、アイドルという存在って危ういです。

私と小岩井アイドル殺人未遂事件はそう遠くない、と戒めのように感じています。アルスマグナにも握手会などのメンバーと接触する機会があるのですが、ドキドキと共にレスポンスに一喜一憂してしまう、自分っていったい何なんだろう……と感じてしまいます。アルスに接触する度、問われる自らのレゾンデートル。

しかしアルスメイトさん(アルスマグナのファンのことをそう言う)に「自分の速度で好きっていうのを受け入れられるといいね!」と言われ、アイデンティティが揺るぎながらも、好きっていう気持ちを受け入れています。本当にメイトさんは優しいひとが多く、私は救われています。メイトさんありがとうございます。

アイドルはファンの夢を叶えるのが仕事だから、と言い切ってしまうにはあまりに無責任に思えてしまい、私はどういう風にアルスマグナと向き合っていこうか、と考えています。それが私にできる原罪への贖いです。

とにかく28日は思いっきり声を出して、ペンライトを振って、一所懸命にアルスマグナのみんなを客席から応援していきたいと思います! 知り合いのメイトさんに会えるのも楽しみです!

ワンピース・フリーク

おはこんにちは、maiです。明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

ということで、セールに行ってきましたよ。徹夜2日目で行くものではありませんね。思考力が低下して要らないものを買ってしまいます。ワンピース一着しか買っていないのですが。

確か去年もジル・バイジルスチュアートでピンク色のワンピース買ったよね。その後アース ミュージック&エコロジーでもベージュのワンピース買ったよ……と思い出しても後の祭。私のクローゼットにはざっと20着くらいワンピースがあります。

ワンピース。それは重ね着をしなくて済むおめかしアイテム。一着で万能なお洒落を演出してくれる楽ちん&経済的なお洋服なのです。

普段はオリーブ・デ・オリーブ(わからないひとにご説明すると、10代後半から20代前半向けのブランド。私はマーケティング外ですが、でもZARAなんかより手ごろで色やデザインを選べばまだ着れます)のセーターにユニクロヒートテックのGパンですが、ワンピースを着ればアラ不思議。あっという間に淑女のできあがり。やっぱりおめかしは楽しく楽してなんぼですよ。

ワンピース一着一着思い入れがあります。19歳のときに初めて好きなブランドで買った裁断の不思議な茶色の夏用のワンピース(「この大学にもこんな格好をする人がいるんだ」と友人から褒められました)。グレーのウール100%のカクテルドレス(太って入らなくなり、今は他の人に着てもらっています)。夏用の深い緑色のワンピース。アールデコっぽい柄がプリントされた絹100%の水色のワンピース。兄に買ってもらったレース付きのワンピース。前後逆にも着れるワンピースetc…… そんなワンピースがごっそりとあります。

今日は少し足をのばして、18歳の高校生のときに青いシャツを買った思い出のショップに行ってきました(移転してから数回しか行ってなかった)。

涎が出るのを抑えられませんでした……。素晴らしい!! いつかお金持ちになったら買い占めたい!! アイテムをチェックしながら、前よりデザインがすこし変化したかなあとか、素材は前と変わらないとかいろいろチェックしていました。

私は素材は食べられる動物の皮・毛皮ならOKという基準を設けています(アストラカンやハラコはNG)。豚皮のショルダーバッグやらうさぎのファーつきコートなど。

手縫いの刺繍入りストールめっちゃ可愛かった……。そして極めつけは金木犀の刺繍入りのスカジャン風ジャンパー。可愛くて中綿が入っていて、温かそうでした……。

今回そんな強豪を押しのけて紺のAラインのワンピースを買ってきました。ウール100%のシンプルなもの。めっちゃ温かく、ぽっこりお腹も隠せるデザインでした。黒か紺かどちらにしようか迷ったのですが紺を購入しました。紺の方がシルエットが甘めです。

 

このブランドを愛着して早10数年。とにかくお高いのがネックです。でも19歳のときに買った夏用の綿麻のジャケットは未だに来ているし、ワンピースはほとんどが現役です。

ということでそのブランドをダイレクトマーケティングしたいと思います。

www.merveilleh-eshop.com

素材にこだわり、デザインにこだわり、着心地も良い。そんなブランドです。

さて、このウールのワンピース、いつ着て行こうかなあ。

12月3日フェミ勉レジュメ 『女嫌い ニッポンのミソジニー』  ⑤児童性虐待者のミソジニー~⑧母と娘のミソジニー

●児童性虐待者のミソジニー
加害者に同一化するだけでの快楽は浅い。被害者の痛みにも同化できるからこそ、快楽はより複雑になり深くなる。
●皇族のミソジニー
正当性には正当性を与えるものが必要。
創設婚→MBD婚(豪族との結婚)→FBD婚(皇族との結婚)
神武~允恭までは、皇后腹が優先される。安康~持統まででも皇后腹の天皇は20代のうち、7人にのぼる。
天皇の娘は、同族の男と結婚しない場合、斎宮制度を通じて神との盟約を結び、スメラミコトの外部性は保証される。
なぜ創世神話の祖神は女性か?
王権の正当性には外部が要り、その外部を表彰するのが女だからである。
女が殺される可能性が最も高い相手は、夫や恋人である。
女のマスターベーション・シーンがポルノの消費者としての男に性的刺激を与えるのは、その不在の男根の位置に、みずからの男根を象徴的に代入できるからである。
●近代のミソジニー
女という選択されたカテゴリーを選択に変える。そのなかに解放のカギはあるだろう。
●母と娘のミソジニー
ステージママ。
女性性とは、それ自体がメランコリックなのだ。
母を憎むだけで、娘は自分を人非人のように恥じなければならない。なぜなら母は抑圧者でありながら、犠牲者だからだ。
母が母でなくなって初めて、彼女は母親と和解する。