Don't cry baby,please !!

少女フェミニストの備忘録

※ネタバレあり 食べることと死ぬこと 映画『海街dairy』 是枝裕和監督作品

 お久ぶりです、maiです。まったく世の中、どこに自分のハマるものがあるか分からない、そんなことを考えて早二週間。私はいま百合とは全く関係のない場所に身を置いています。たまには百合以外のことを考えるのもいいだろう、と一か月くらいの猶予を自分に与えてあげることにしました。これが居心地が良くてたまらない。久しぶりに感じる、この充足感。魂を削るんじゃなくて、魂に栄養を与えることも大事ですよね。

 

 前置きはこのくらいにしておいて。是枝裕和監督の『海街dairy』を鑑賞してきました。同監督作品の『歩いても、歩いても』ほど紋黄蝶を追うクレイジーなおばあちゃんが出てくるわけでもなく、『そして父になる』の少しの毒をもった父親になれない男の話でもなく。味付けは『誰も知らない』に似ているかな、と思っていたけれど、『誰も知らない』ほどドラマティックではなくて。時間を愛する、という映画でした。そう言うと『幻の光』に一番、似ているかもしれません。ウェルメイドな少女マンガらしい作品に仕上がっていました。

 私は昔、是枝監督フリークで、VHSで『ワンダフルライフ』を観てから、『DISTANCE』を劇場で何度観たか(確か五回くらいだったと思います)。それくらいの是枝監督フリークでした。近年は落ち着いていますが、ティーチインがあったら必ず行ったりとか、していました。映画全作品、漏れずに鑑賞させて頂いています。

 『海街dairy』も是枝監督らしい、生きることと死ぬこと、この矛盾する二つが、同時に存在しているのを見て取れました。四人姉妹が食事する居間には仏壇が置いてあったりね。冒頭は次女の情事の後からお話が始まるし(あの、足を執拗に映すのは男性である是枝監督のフェティッシュを感じました。私も足フェチですが)。葬式と法事、冠葬が三回も映画の中に挿入されていたりとか。

 そして特に事件らしい事件が起こらず、人間関係の問題に焦点をあて、それを時間が解す、という少女マンガの王道パターンを踏襲していました。冗長に感じてしまうひともいるかもしれないけれど、私は時間が解決するっていうことを深く信じているので、納得で順当な作品に仕上がっていました。長女がお母さんにおばあちゃんが漬けた最後の梅酒を渡すところなんて、まさしく時間の流れが、熟成が必要だったんだな、っていう説得力がありました。

 あとやたら食べている。どのシーンを切り取っても食べるシーンにぶち当たる。それは生きることそのもので、四人姉妹が「生き生き」しているのはそのせいかと思うほど、良く食べていました。たぶん彼女たちは食欲じゃなくて、食事欲だと思うんです。なにかを常に口に入れていないと落ち着かない、という状態ではなく、四人で食卓を囲むという行為そのものが、生きることとダイレクトにつながっている。そんな感じがしました。

 欠如が日常生活で当たり前にある、というのを葬式や法事でシンボリックに示しているのではないかな、と思いました。多分、葬式じゃなくてもいいんですが、それは物語の制約があるからかなと思いました。

 四季を通じて撮られた『海街dairy』の主役は時間だと思いました。それを通じて四人姉妹の顔が変わる。少女マンガは多くの問題を「時間が解決してくれる」と表現してきました。映画『海街dairy』が(少女というと歳が取りすぎている人たち向けの)マンガ原作であるように、是枝監督はそれを見抜いていたと思いました。

 残念だった点は映画ではなくパンフレットにあります。ちょっと安っぽい作りで「伝統的な暮らし」って全然劇中に出てこないんですけど……とつっこみだくなりました。

 あとは、未完のマンガならではのラストがぼやけた感じがします。もしかして、『海街dairy 2』あるのかな、と思わせるニクい作りでした。