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Don't cry baby,please !!

少女フェミニストの備忘録

制度と寝ること――異性愛至上主義と生理的嫌悪

ちょりっす! maiです。ご無沙汰しておりました。

最終更新が6月とか申し訳ないです。またぽつぽつと忘れたころに更新致しますのでよろしくお願いいたします。

 

今回は「制度と寝ること」と題して愚痴のいくつかを書いていきたいと思います。

 

私はバイセクシュアルとかクエスチョニングとか自分のセクシュアリティアイデンティティファイしているんですけれど、それがどうも気にくわない人たちがいるらしい、というかそういう人に不幸にも直面して、後味が悪い思いをしました。

セクシュアリティをなぜか比べたがるひとがいるのです。

たぶん、お話をした方は、女性でしたけれど、「女性だから男性に無条件に愛される」=「男性は女性を愛するもの」=「男性が男性を愛するなんてもっての他」という少々クレイジーな三段論法をお持ちのようでした。また「レズって8割の女性が気持ち悪いって思うんだって」と仰られたり、「このひとレズ小説を書いているから」とか仰られていましたね。

8割の女性がレズビアンを気持ち悪いと思うエビデンスは結局、示してくれませんでした。まあ私の百合小説はレズビアニズムに基づくものもあるので、あながち間違ってはいませんが、森奈津子先生のように「レズ」という言葉が持つ差別的な意味合いをなくそうとして、レズという言葉を使っているようには思えませんでした。文脈から推察すると揶揄や蔑称としての「レズ」でしたね。

たぶん、この方は男性と恋愛して結婚し、子どもを育てることが唯一絶対の正しい道なのだと思いました。自分の信条を持つことは大事だと思います。ただそれを押し付けられて、その道から外れた人間は「まっとうではない」というスティグマが押されるのです。私は憤慨しました。「あなたは一生、制度と寝ていなさい」と。

しかしなぜこのような事態が起こるか不思議でした。

セクシュアリティなんてものは、私はいろいろな誤解を招かないように予め名言していますが、個人的なものであり、社会生活を営む上でなんら知らなくててもいい情報です。なぜそこまで攻撃性を露わにするのか、と考えました。

「生理的嫌悪」というのは便利な言葉です。しかし何を生理と決めるのかは社会的・文化的要因です。たとえば、シャンプーという文化がなかった地で、シャンプーを与えたところ、皆シャンプーを使い始め、結局、洗濯するための川がシャンプーで汚染された。という話を大学の講義で聴いたことがありました。髪が汚れて気持ちが悪い、という感覚もまた文化や社会環境によって形成されるものでしかないのです。

卑近な例をあげましたが、人間の感覚というのはそのような程度でしかなく、まして頭に生理と付くと、本当にそれは持って生まれたものなのか、という疑問があります。

LGBTやクイアな人たちは生理的嫌悪を持たないから、ヘテロという「ノーマル」な性を受け入れないのでしょうか。違うでしょう。少なくとも私は個人的な資質に左右される「生理的嫌悪」なんて信じるに値しません。

「制度と寝ていなさい」という言葉は自分でもうまく言い表せているような気がします。異性愛至上主義はさまざまなもの・ことを生み、さまざまなもの・ことを壊していきました。私はその壊れたものを一つずつ拾い上げ、パッチワークする作業が好きです。確かに制度と共に居ることは大樹に身体を預けるような安心感があるでしょう。それがどのような犠牲のもとで成り立っているかと知ったら、私は眠ることができません(ル・グィンの『オメラスから歩み去る人々』を思い出しました)。

今回、お話をさせて頂いたのは女性のかたでした。以前にも私は「女は男に愛されてナンボよ」と言われたのも女性でした。私は男と休戦協定を結ぶより、女と和解するほうが難しい、と今回の一件で感じました。

また今後もこの問題は百合小説家・少女フェミニストとして向き合っていきたいと思います。