Don't cry baby,please !!

少女フェミニストの備忘録

10/19 第一回フェミ勉活動報告&第二回フェミ勉の課題図書発表

maiですおはこんばんは! 第一回フェミ勉終了致しました。風邪気味かつ慣れない司会進行で皆さまを煩わせてしまいました。大変申し訳ありませんでした。しかし皆さんのご尽力のおかげで闊達な議論が行えたように思います。参加して下さった9名の皆さま、本当にありがとうございました。

 

備忘録的に皆さんの喋ったことを書いておきたいと思います。

まず性分化疾患について。「第三の性」というカテゴライズはおかしいのでは? そもそも性別というのはn個の性(ドゥルーズ=ガタリ)を持っているのではないか? という話から始まりました。また個人に権力差があるかないかということと男女間に権力さがあるということは別では? という問いも発せられました。男性-権力/女性-非権力、というのが男女二原論の構造(ツーセックス・モデル?)として語られるけど、フェミニズムはそのモデルを撹乱していくものにあるのでは? というご意見も。セックス・モデルというものは多様であるという言説が重要でしたね。

女性的は女性的なるものを肯定できるが、男性はその女性的なものを肯定できないという意見も出てきました。「男性らしさ」というものが揺らいでいるということの証左なのかもしれません。話題でDVが少しでてきたのですが、「あらゆる暴力はいけない」ということは本当か? ということで「暴力のない性愛」というのは可能なのかという問いもありました。たとえば完全な合意のキスというものが、性愛では可能か? というお話です。ラディカル・フェミニズムの「すべての性愛は暴力である」という言葉を思い出しますね。はたして本当にそうなのか? 良い暴力と悪い暴力があるだけではないだろうか? ということ、私も今後考えていきたいと思います。そもそも暴力のない社会というのは成立するのだろうか? タブーの腑分けとしての男女差・人間/動物の差をなくすことはできるか/なくしていいのか? という社会全体の暴力性みたいなのを問いただすということにも繋がりますね。

 

あと「女性がお神輿に触れない」という問題も出てきました。文化というのは必要なタブーと必要じゃないタブーがあると言えます。またお祭りにおける性差別は共同体的・土着的な性役割と近代的人権意識(フェミニズムジェンダー)のアンビバレンツさもここで表象されていると思います。文化が人権侵害的な場合フェミニズムは闘ってきたと思います。女性だけが担げるお神輿もあります。そしてオリンピックも最初女性は参加できなかったというご指摘を受けました。このように男女の性差を際立たせる方向から、私達はすこしずつ離れてきているのかもしれません。それでも男女の性差が際立させられるのは田中美津さんは男性は身体感覚を疎外されていると書いてありました。防御規制としての女性阻害。つまりホモソーシャル的な空間を形成するための女性排除という面もあると思います。母性保護という面も結局はホモソーシャル社会の形成という点で一考の価値があると思います。

 

また「中性」という思考の罠の話にもなりました。ユニセックスというニュートラルな性は本当にありえるのか? というお話です。男らしくも女らしくもない性という仮想。経済市場は性差がない経済単位としてあるのでは? また性差を子どもが生める/生めないで区別していいのか?ジェンダーロールと経済は結びついている。ユニセックスという言葉の胡散臭さというご意見も出ました。レトロジェンダーというファッションの話もでてきましたね。ファッションにおけるジェンダーは表象であり、その表象はさまざまな形で変化しています。

 

そしてなんでもかんでもモテという恋愛フレームに回収されていく現在の傾向についてお話させて頂きました。恋愛=性愛=性別という強い結びつきがあり、モテといのは分かりやすい、アイデンティファイしやすい価値基準であるというお話です。経済市場はモテという恋愛フレームが消費を煽れるからモテは存在しているともいえます。モテというのが煽られ始めたのはいつ頃からでしょうか? という質問も飛んできました。私は「~男子」、「~女子」という恋愛に消極的な性が生まれてからのように思えます。またモテという言葉に気持ち悪さがあるとしたら、それはモテ=付き合いの深さにならないことだと思います。モテという言葉は他人を消費・ポイント化しているというご指摘もありました。モテと恋愛は違う、という意見に最終的になりました。

 

また「男らしさ」というものはとっくに揺らいでいて見かけのジェンダー差はなくなってきていて、これから違う差別が生まれるのではないか? というご意見もありました。性の次に来るものは、見かけの美醜やコミュニケーション能力を問われるようになり、そこから新しい差別が生まれつつあるのではないか、というお話です。

しかしながらジェンダー化された振る舞いや差別はまだまだあります。面と向かって侮辱はしないが、持ち上げられるので女性としては嫌がりにくいというところも多々あるのでは? また振る舞いとしてのジェンダー差は共犯関係にあるのでは? という指摘もありました。物事を円滑に進めるために、意図しなくても、性差別的な振る舞いをしてしまうことは多々あると思います。ノーということが馬鹿にされる感じがあってノーということが言えない場合もあります。また具体的に言うと「かわいい子がいるほうがお茶がうまくなるから」という言説に女側にもなんらかのメリットがある、という共犯関係があると指摘させて頂きました。若いときに自分の容姿に価値をつけられるというのは、それがいずれ失われるのにも繋がる。女性であることを利用するのはいいけれど、それを女同士の対抗軸とするのは間違っている、という話になりました。

 

そこから話を展開してイメージ消費する/される側双方の欲望を考えていかなければならないし、イメージ消費されることに少女たちは自覚的であるというお話になりました。最初、イメージから入ったとしても失われることで、他者として表れてくるということもあるのでは? という指摘があります。女性が相手の機嫌を取るというスタンス自体が問題であり、「イメージ消費する/される」ことを利用するスタンスでは権力構造自体は残るのでは? という問題提起も行われました。若さや美しさ資本とするのは、そうふるまうことでその規範を強化しているのでは? またその規範を壊すためにはどうすればいいのか? ということは今後も考えていきたいと思います。

 

男の知り合い、彼女がいないから彼女がほしいといっていたけど、同じ年の彼女はオバサンだといっている。そういう発言の主体=男性はいったい何者であるか、というお話にもなりました。女性の衰えに対してマイナスイメージを持っている人間が、男性の衰えに対して無自覚であると言えると思います。「オバサン」というイメージとそれを客体化している中年男性は鏡を見て欲しいものですね、というお話もしました。男性は衰えを禁止されている、女性という資源は歳をおうごとに目減りしていく、等のご指摘がありました。それと対照的に男性の資源は歳をおうごとに権力的な意味では上がっていくというご指摘もありました。権力を持つ男性はそれゆえ無自覚になれるのでは? という話になりました。美しさという感覚が、結局刷り込まれているのでは? 歳をおうごとに得られる美しさもあるのでは? というお話に続きました。感覚そのもの自体変わっていくというお話です。

また美しさという点で、日本は「ロリコン」文化だからこそ、女性の若さは重宝されるのでは? という「ロリコン」論に発展しました。若い女性というそのものがコンテツとして消費されているのでは? という点です。アニメやマンガで描かれる若さとは可能性の象徴であり、可能性がないひとはこれに憧れるのでは? というご指摘がありました。自分に可能性がないから若い者に自分を仮託してその成就を願っているのでは? と。このような倒錯的感覚は森岡正博さんの『感じない男』ですでに展開されていますが、虚構の少女と現実の少女は分離しているのでは? というご指摘もありました。「ロリコン」文化とは自分が消費されることを可視化されていると言えるかもしれません。イメージ消費にとらわれている限り、生身のそのひとには到達できない。ということで、偶然性を受け入れることによって、ようやっと他者が現前してくる。そのひとが離れてしまう、ということも受け入れなければならないもまた受け入れなくてはいけないことだと思います。しかしイメージ消費というものの中からもイメージ消費ではない他者が見えてくるのでは? という点もありえます。そしてイメージ消費の流れを変えていくことはおそらく難しいのでは、というご指摘もありました。モードとしてのイメージは確かに個々人の意識から変えていくのは難しいと思いました。この複雑化された社会ではディズニーランド的なイメージ消費が行われることは必然になりつつあります。

 

ここで話題は変わって、「弱者男性」は存在するのか?というお話になります。弱者男性は本当にいるのか?いるとしたらフェミニズムと共闘できるのか?男性である以上は男性原理に生きているわけだから、抑圧者でしかないというご意見もありました。多分、男性が男性である以上、男性原理に生きているわけだから、抑圧者でしかないという点もご指摘頂きました。弱いというのはいったい何をさすのかという意見もありました。経済的に、職業的にか? 逆に女性で富んでいるひとは女性の被抑圧性から逃れられているのか? 等の疑問が浮かびます。私はリブのフェミニストとおたく男性の親和性について指摘させて頂きました。おたくとは性にセンシティブな感覚を持っている、ロマンティック・ラブ・イデオロギーに乗れない、自己のセクシュアリティがリアルの女性に向かない男性のことを指していました。一方、恋愛している層を「リア充」と呼ぶのもまたオタクでは? しかしそこはセンシティブな感覚を持っているからこそ「リア充」と呼ぶのではないかと思います。「リア充爆発しろ」は一種の挨拶程度にしか思っていませんでした。しかしオタクの多層化によって一括して語れないのも事実です。性にセンシティブな男性とオタク男性は部分集合であると言えると思います。

オタクというのは周縁的であり、基本的に社会規範から離れて自分の世界を作ります。中心というのは非オタクの異性愛者男性でありそれ以外は周縁的です。周縁的なオタクのイメージも 消尽されましたね。オタクは男ではなかったわけです。

ここで話題は変わりますが、男性でモテたいとおっしゃる方が現れました。「モテたい」とはどのような欲望を指すのか、議論になりました。「超美人なお姉さまにちやほやされたい」=理想の自分に達したいという欲望がどのようなものであるか、というお話になります。お金にモテたいというお声もチラホラ。格好いいひとが優先される社会への一種の恨みか、復讐か。この場合、異性はステータスであるという点が新鮮でした。また「モテとは女性性への復讐」という視点も新しいものを感じました。女性にモテる自分を周りのひとに見せつけたいという自分の心の中の外部に対する自尊心が満たされるというお話でした。フェミニズムを勉強することはモテへの一歩とお考えのようでした。

人間は欠けた存在だからこそ、埋め合わせたいという欲望のお話になりました。欠けた存在だからこそ。他者との関係が大事になる。お互いに男女は欠けた自分を埋めて、別れて、の繰り返しであると。

ここで一回回線が切れてしまいました。異性愛のお話になります。体制としての異性愛は批判されるべきだけど、個人的な異性愛はたちいるべきではないという問題を提示させて頂きました。制度として同性婚の問題を話すことはできますが、誰かが同性愛者であることを問題とすることはできない、という点で私にとっては非常に重要な問題だと思いました。異性愛にツー・セックス・モデルが含まれている、という問題にもつながっていきます。

 

ここで女性と男性は対ではない、という対幻想批判に入りますたとえば女性と男性が極であるとしたら、スペクトラム、グラデーションとなってるという点を指摘できると思います。男女が二つの極だとすれば、その間にスペクトラムのように多様な性の形があるというお話をしました。また私は他者と向き合っているのであって、男―女でも、女―おとこでもないという世界と向き合っているんだというお話が展開されました。人が対であることが完全、という幻想が跋扈しているのが怖いねという意見も提示させて頂きました。ふたりでも、ふたりである不完全、になるしかないのでは? という問題も提示されました。「対幻想は女の一人相撲だった」というのが上野千鶴子さんの『発情装置 エロスのシナリオ』で書かれていました。

 

 

ここで休憩を挟みました。そしてフェミニズムというものが、その語に含まれている女性性を排除できない、語学と性別の壁みたいなお話になりました。フェミニズムへの消極性というのは女性に限定されているからでは? というご指摘を受けました。問題はフェミニズムの前にも後にもあって、どうとらえていくか、みたいなお話になりました。またフェミニズムへNOというときも必要なのではというご意見頂きました。「男/女という性別」を前提として語る語りかたに対する違和感もある、というご意見も頂きました。また大きな物語を我々は欲しているのではないか? またその大きな物語というもにジェンダーが絡み取られるのでは?というご意見も頂きました。機会的同性愛という言葉がありますが、わたしたちが一般的な物語としての愛を求めるのは機会的異性愛なのでは? という大きな性の物語としてのロマンティック・ラブ・イデオロギーは機会的異性愛というお話もしていただきました。大きな物語の構造を壊すのは自覚はできるけれど、壊すことは難しいのでは、というお話で一回議論は終了致しました。

 

議論が終わって、いつかBLについても議論してみたいね! というお話になり、色んな作品名が飛び交いました。その時の資料は何がいいかな? と思いながら第二回目の告知をさせて頂きました。

第二回フェミ勉ではちくま新書の『フェミニズム入門』大越愛子さん著を利用していきたいと思います。

 

フェミニズム入門 (ちくま新書 (062))

フェミニズム入門 (ちくま新書 (062))

 

 ちょっと古いですが、とても良い入門書なので、みなさんと読んでいければと思います。

 

フェミ勉第一回終了ということで参加された皆さま、本当にご尽力いただきありがとうございました!! ブログの内容でここは削除してほしい、付け足してほしいという点がありましたら、どんどんお声がけくださいませ(なるべく個人を特定されないように気をつけたつもりですが、不備があったらすみません)。本当に皆さんがいらっしゃったから色々な話ができたと思います。参加できなかった方も次回はぜひ遊びに来てくださると嬉しいです。

 

また、フェミ勉終了後に①専門用語をなるべく使わないように心がけて頂きたい②話せないことがあった等ご指摘頂きました。以上の点はこれから気をつけていきたいと思います。フェミ勉が開かれたものであるよう、皆さまにもご協力いただくことも多々あると思います。長くなりましたが、みなさんのご協力でフェミ勉は成立しています。本当にありがとうございました。今後とも宜しくお願い致します!!!

     主催・mai