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Don't cry baby,please !!

少女フェミニストの備忘録

第二回フェミ勉活動報告&第三回フェミ勉課題図書

 おはこんばんは、一か月ぶりです。maiです。

11月21日土曜日に開かれた、第二回フェミ勉の活動報告をさせて頂きます。

 課題図書は大越愛子さんの『フェミニズム入門』でした。また最大9名の参加者さまを迎えることができました。参加された皆さま、二時間弱、本当にありがとうございました。

 カッコ内は私の発言ではなく、フェミ勉に参加された皆さまの発言です。どこか不適切な表現がありましたら、私の方までご連絡下さい。

 

 課題図書を決めたのは私ですが、私はちょっと冗長に感じてしまいました。あまり起伏がないというか……。そんななかで皆さまの感想は「それぞれの論者の主張が本当に多様で、頭の中で比較・整理するのがまだ全然できてなくて、でも改めて、フェミニズムの蓄積ってすごい!と感じています」、「日本の事例を知れたのが良かった」、「戦争と母性幻想との関わりがフェミニストから書かれていたのが興味深かった」等のご意見を頂きました(戦争と母性幻想については上野千鶴子さんの『ナショナリズムジェンダー』が詳しいです)。私が『フェミニズム入門』を選んだ理由としては、①入門として情報密度が高いから②バックラッシュまで記述されているから、でしたが、「密度が濃すぎる」とのご意見も頂きました。でも岩波の思考のフロンティアシリーズの『フェミニズム』よりは若干薄めかと思って、比較して、『フェミニズム入門』を選ばせて頂きました(高校時代にこの『フェミニズム入門』を読んだのですが、固有名詞の多さに挫折しました。再読して新しい発見も多々ありました)。また、Amazonのレビューを読んで、「男性について苛烈に書かれていると思ったけれど、結構フラットだった」とのご意見も頂きました。

 

 早速、自由にお話を聞かせて頂きました。まず『フェミニズム入門』のp.196に罹れているポルノ論争とBLについてご意見を頂きました。「復讐としての搾取たるBL」ということで、「男を『見てやる』」という視点の問題。見られることの怖さ、また「女性が主体的に男を怨念をこめて消費することはあまりよくないことでは?」というご意見を頂きました。「暴力で返すことはよくないのでは…」と。「女性をアクセサリーとしてみること以外のこと」、「BLのなかにある、ヘテロだけではない、愛情などは男性としても救いになるかも…」というBLへの眼差しがある一方、「(男性に)傷つけられたから(男性を)傷つけていい? 復讐の連鎖」がありうることも指摘できました。またリブで有名だった田中美津さんは強い・攻撃的な言葉を使うけれど、ある種のBLもそのリブ的な精神を受け継いでいるのではないでしょうか? という意見を私は述べさせていただきました。

 またBLとは(非)対称的な百合の話題も上げさせていただきました。「百合を好む男性=少女性とかを結局好む」、「ペニスの登場しないポルノはペニスではない部分の名前のなさを浮き彫りにする」というご意見を頂きました。レズビアン・ポルノを書いているAさんは「女性の見られる部分は局所的である」、「ヘテロセックスはペニスが行為を終わらせる『スター』として登場する」等の貴重なご意見を頂きました。また性器周辺の語彙のすくなさは、第一回フェミ勉の課題図書・『女性学/男性学』でも「生物学が男性中心に組まれたこと書いてありましたね」というご意見を頂き、女性の身体を局所的にしか見ていないということと繋がると思いました。また百合を語るには欠かせない雑誌『百合姫』、前身である『百合姉妹』について触れさせていただきました。『百合姉妹』は購買層を主に女性・BL愛好家に向けて創刊された雑誌でした。BL作家として有名な小野塚カホリさんやみなみ遥さんなどを起用しておりました。私はBLの延長または辺境としての百合、と捉えていました。百合に関して「女性同士のほうが百合を純粋に描ける?」、「女性性から逃れ出たものとしてのBLから戻ってきているのか」、「女性同士の恋愛はフィクション?」等、個人的に興味深い質問が飛んできたのを覚えております。また京都アニメーション制作の『けいおん!』とシャフト制作の『魔法少女まどか☆マギカ』とジェンダーというお話もでてきました。上記に2作品は「恋愛は無条件でいいことである、という考えのもとの苦痛」から生み出された作品ではなかろうか、と。またサンライズ制作の「『ラブライブ!』は男性の完全排除」された世界という指摘もありました。なぜ男性が排除されるかというと、「萌えキャラが男に触れてほしくない、男は穢れ」という考えがあるからでは? という指摘もありました(「男は穢れ」という概念について詳しく言及されているのは上野千鶴子さんの『女嫌い』)。アニメのなかで少女が重宝される理由としては、「かわいいは伝統的に女性に押し付けられてきたので、男性は女装としてしかかわいいに接近できない」、「女性への逃避」、「変身願望としての典型としての少女」等のご意見も頂きました。

また「中性への憧れ」として、高橋慶太郎さんのマンガ「『ヨルムンガンド』のバルメは女性による女性のナイト」として中性の可能性を描いているというご指摘もありました。また中性を描いた作品として、百田尚樹さんの『風のなかのマリア』は蜂を擬人化した小説と聞きました。

 

  ここで話題は一回、途切れます。そしてBさんが、「かわいくはなりたいけど女になりたくない、『僕』のかわいいをしたい!!」と仰いました。「かわいい=女性?」、「中性になりたいと女性になりたいは確かに違いますね」、「しかしホモソーシャルの独特の絆は(中性に近い)女性でも再現できない気がする」、「女性にかわいいが押し付けられていた」等のご意見を頂きました。そこでCさんは「自分がかわいい(内なる差異)と女性としてのかわいい(間の差異)は、異なる」と仰いました。以前は後者の「ジェンダー差のかわいいしかなかった性的にフラットになりつつある社会をBL・百合は引き戻しつつあるのか」という興味深い指摘をされました。

 

ここで暴力の問題に戻ります。「言葉本来に根ざした暴力性 言葉を使うものとしてわたしたちはそもそも暴力性、搾取する己を自覚することが重要である。例えば、日本のフェミニズムが第3世界の(主に東南アジアの)女性たちを搾取していたように」というご意見を頂きました。「西洋型のフェミニズム>日本のフェミニズムという図式があるが、これは本当か」という疑問も投げかけられました。「稚児→子どもの聖性」、「都市のなかにアニメの幼女が出てくるような国はここしかない」と仰いました。そして「男性の性表明と女性の性表明とで社会的な扱われ方に差があるようだ」というご意見から、「作者が男性か女性かだけで区別するのはおかしいのでは?」というご意見を頂きました。

 

ここで5分ほど休憩しました。

 

 ここで、子どもの聖性がロリコンの話になります。Dさんが「あるロリコンは『18歳以上(の女性)は穢れてる』と言いました。それはどういう意味か」という問題提起をなされました。「ロリコンは劣位にあるもの、自分に害なさないものとして少女や幼女を愛しているのか」、「三次元のミソジニーを反映している」、「少女から女性に変わる期間に刹那を見ている 大人の男性が可能性が狭まれる悲しみと思春期女性の輝き」、「劣位を称揚するルサンチマンとしてのロリコン(表の面と裏の面があるよ!)」「『成熟』というのも疑いの目を向けたいところではあります」等ご意見を頂きました。ロリコンとBLの非対称性についても言及されます。AさんがBLの萌えには3つの要素があると仰いました。「①男体萌え②男性萌え③自己投影」で男性のかわいさとはハードボイルドな場面で現れる、「このかわいさは『劣位』のものをかわいがることと同じなのか?」という問題提起をされました。「死にそうなときに鼻のあたまめっちゃかゆいというかわいさ」、「男性のかわいさは庇護したくなる可愛さ」である、と。「男女関係なく傷つきやすくはかないものに対する愛おしい気持ちは日本社会で昔からあった」。

 

 そろそろBLや百合から離れて、テキストの方に戻ります。

 Eさんが「母性主義フェミニズムについての記述がおもしろかった」と仰られました(『フェミニズム入門』p.118)。「女性のオカルト性」「子どもを産む、という神にしかなしえない創造行為を行う女性なのだから男性のケアも子どもの養育も行える」「母性主義はよくないな」「上野千鶴子 vs 青木やよい によってエコロジカルフェミは否定されたが、フラットでいいのか」、「これはどうなってゆくのか」「ips細胞が出産を担う」、「生殖が恋愛から離れていく」等、興味深い議論が飛び交いました。生殖が恋愛から離れていく、という点で、同性婚について触れられます「渋谷パートナーシップ条例はLGBTヘテロ化?」、「同性婚はLGBTを単婚主義に回収する動きでは?」。またテクノロジーについても言及されました。「性はこれまで人間にはどうにもならない問題だったが、技術の発展により欲望もまた発展する。(例)デザインベイビー」。

 「エコロジカル・フェミニズムは生殖と性の分離をよいとは考えないであろう」とテキストから学んだことを発言されました。「エコロジカル・フェミニズム本質主義的である」という意見も頂きました。またエコロジカル・フェミニズムで重要な再生産性という概念について。「再生産性と原発は繋がっている」という興味深い意見がありました。「エコロジカル・フェミニズムは再生産への幻想」と繋がっている、と。また「政治の舞台になるとフェミは利用される?」「西洋的な オリエンタルな 二項対立でとらえている時点でエコロジカル・フェミニズムは古い」等、ご意見頂きました。だからこそ再生産性への幻想は強固であると言えるでしょう。また「女性の労働の周縁化 (例)コース別人事」も再生産への幻想であるというご意見を頂きました。

 

 そろそろ終盤にさしかかります。

 Bさんが「ファロスに集中させられているセックスを取り戻す!!」と仰りました。その理由として「女のひとを欲することがめんどう」、「自分のなかの他者性・複数性を見出したい」という興味深い理由でした。それに対しCさんは「言葉は誰に向けられた言葉、自分なかで対話することは誰かが関与していることであり、言葉=交換価値である」と仰りました。それに対しAさんは「自分の身体は他者。対象化している目線内面化している。女体というものを他者から自分の身体を取り戻す」という発言をされました。その反対意見として「男性は対象を内面化していない?」という意見も出ました。

 「90年代からフェミニズムをリードしてきた上野千鶴子さんですが、フクシマ以降『おひとりさま』というのは有効か」というご意見も頂きました。「他人とどこかで繋がっていかないといけない、また閉じられすぎな関心にも問題提起していかなければならない」というご意見を頂きました。

 

 そして第三回目のフェミ勉の課題図書を決めようということになりました。Cさんが『フェミニズム入門』の「むすびにかえて」(p.231)で今後の課題となる人物とテーマが書かれていることを指摘し、その中から選ぼうということになりました。

 その中でフェミ勉参加者の皆さまが多く興味を持たれた、G.C.スピヴァクの『サバルタンは語ることができるのか』(みすずライブラリー 1998)が課題図書となりました。

 

サバルタンは語ることができるか (みすずライブラリー)

サバルタンは語ることができるか (みすずライブラリー)

 

  150ページほどの論文ですが、解説もたっぷりありますので、早めに取り組まれると良いと思います。

 第二回フェミ勉に参加された皆さまに感謝を込めて、活動報告を〆させていただきます。ありがとうございました。