Don't cry baby,please !!

少女フェミニストの備忘録

私が『Free !』に萌えられなかった理由 腐女子とフェミニストの相互関係

 お久しぶりです。maiです。

 私は百合文字書きでなおかつ腐女子でもあり、オタクで少女フェミニストを名乗っております。BLや百合好きがフェミニストであることと、齟齬なく関係することは多々ありますが、今回は齟齬をきたす場合を挙げてみたいと思います。

 

 京都アニメーション制作の『Free !』にはほとんど萌えられなかったときのことを思い出したので備忘録的にまとめをしたいと思います。

 

 説明するまでもないですが『Free !』は水泳部を舞台にし、男性しか出てこないため腐女子の方々に絶大な支持を得た、アニメーションとなっております。数年前の私なら、とても萌えていたと思います。でも萌えられなかった。

 それはなぜかというと、京都アニメーションが『Air』や『CLANNAD』を作っていた、という点に尽きると思うのです。宇野常寛氏が『ゼロ年代の想像力』で「レイプ・ファンタジー」と称した作品群であります。『Air』では神尾観鈴が死に、『CLANNAD』では古河渚が死んでいる。その死をマスターベーション的な解釈に乗っ取らず、理解しようとすると、とてつもなく過剰な何かを読み取らなくてはなりません。その神尾観鈴古河渚の死の上に『Free !』があるということが私には耐えられなかったのです。『けいおん!』も百合的にはおいしいと言われているのですが、これも京都アニメーション制作のためほとんど萌えられなかったのです。

 

 作品は作者の手から離れ、作者のものではない、というのは重々承知しておりますが、制作者の意図、「これなら萌えるだろう」という意図が透けて見えて、同時に「本当に私は神尾観鈴の死を理解しているのか」というフェミ的な読みを突き付けてくるのです。

 

 腐女子歴も貴腐人に差しかかろうとしているときに「『Free !』に萌えられない問題」は私のなかで大きな転機となりました。いままで条件反射的に萌えていたものが、そうではなくなってしまったということです。アニメ・マンガ原作で女性が不当な扱いをされていないか、極端にマッチョな思考に陥っていないか、などポリティカル・コレクトネスフェミニズム的文脈から逸脱していないか確かめるようになりました。

 その思考は私を「居心地の良いBL」へと誘ってくれたのです。私はフェミニズムを勉強して良かったなあと思った点です。

 萌えられればなんでもいいんじゃい、ということは分からなくもないですが、刀剣乱舞の制作者が言った「大東亜共栄圏」問題を無視して、萌え続けられるか、と言ったら私は無理です。

 萌え(コンテンツ)はPCやフェミニズムを壊し、新しい世界へと誘ってくれるのも事実です。しかしPCやフェミを理解したうえで、どういう作品を作るかも同時に大切なものだと思うのです。

 私は腐女子です。またフェミニストであります。それは螺旋を描きながら相互に影響しあっていると思います。萌えるけど、フェミ的にちょっと……という作品もあれば、萌えないけど、フェミ的に正しいと思う作品も多々あります。合致することは難しいかもしれませんが、私は腐女子フェミニストであることは矛盾しないと思うのです。

 

 ちなみにいま私が萌えているのは『血界戦線』。内藤康弘さんは色恋を描くのが苦手なようですが、その空白を二次創作で描いている作品を拝見するのは好きです。私の萌えにはやはり「作家性(その作家さんのジェンダー意識)」が背後関係として必要だと『進撃の巨人』に萌えているときに気づきました。

 フェミってなんか面倒くさいと思われるかもしれません。ですが、自分のジェンダー認識を当たり前と思わないひとにとってフェミニズムはいろいろな示唆をくださいます。フェミもBLもまだ完全な理論ではないけれど、完全じゃないからいい。むしろ自分のなかでどうフェミ的なものを吸収していくのかが問われるような気がします。