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Don't cry baby,please !!

少女フェミニストの備忘録

「才能」という名の亡霊――小説を書く覚悟

 いま私は新人賞に応募する用の小説を書いています。大事なのはそこで「選ばれる」ことではなく(もちろん1000倍以上のの倍率を潜り抜け選ばれたらすっごくすっごく嬉しいですが)、とにかく書き上げることを目標にしていることです。それが私に課した義務だと思っています。さきのことはどうなるか、わからないですからね。書き上げることなく不慮の死を遂げる可能性だってありますし。書き上げるまでは死なない、が私の目標です。

 

 友人のMさんから、小説を書く才能とは? というご質問を頂いたのですが、私は才能なんてないので、この質問はナンセンスだとまず言っておかなければいけません。私はまだ(プロの)小説家にはなれていませんから(自己暗示はかけていますけど)。私の知る範囲では、小説は書けます。忍耐と体力と孤独に耐える力と自分自身を信じることができれば。それに私は才能という言葉が嫌いです。

 まず才能があることと、才能を磨くことと、才能を他者から認めらることは全く違うことです。しかもこの才能というやつで、そのひとの人格を嘲り、崇拝したり、貶したり、褒めたたえたり。まったく無意味なことです。私はこの質問から羽海野チカさんの『ハチミツとクローバー』を思い出しました。

 

 『ハチミツとクローバー』の登場人物たちは、みな才能という亡霊に取りつかれています。それでも懸命に生きようという必死さに胸を打たれます。

 「何か残さなきゃ生きる意味がないなんて、そんなバカな話があるもんか」

 あるキャラクターに羽海野さんは言わせます。過剰に生産性(私たちが生活している上での労働からリプロダクティブまで)を意識させられる昨今、この言葉は非常に多くの方々に届いたでしょう。

 何かを残す必要なんてないんです。ただ自分が忘れられる覚悟をしていれば、怖いことなど、何もないと私は思うのです。

 私は、何度も言いますが、自分に才能があるとは思っていません。ましてや他人から認められるものは、持っているようには思えないのです(そもそも私の「所有」しているものの少なさよ!)。

 私はいい歳のおばさんなので、諦めることがうまくなりました。諦めは人生における洗練だと思うのです(ドント・トラスト・オーバー・サーティー!!)。どんどん諦めて、それでも執着することとは何か? 私には書くことがそれでした。届かない想いを抱き続けることは私にとっては日常でした。それが書くことに代わってもなんら苦痛ではないです。書くことは私にとって叶わないと分かっているような恋をすることです。

 とにかく制約なしで(私は「やさしい百合物語」を書こうと努力してきました)、自分のやりたいようにやろう、と決めてから(決めるまでずいぶんかかりましたが)、私は楽になりました。

 たとえ、私のことを忘れ去られてもいい。

 たとえ、私が書くものが打ち捨てられてもいい。

 それでも私がいま祈りのように書いている小説は決して無駄ではないと盲信しています。

 信じる力は想像力に直結すると思います。私はただ自分の今まで触れてきた物語たちへのささやかな恩返しができればいいのです。

 まあ偉そうなことは書きあがってから言うべきですよね。これがまたロンギング&ワインディング・ロードだから困ったものです(本当に……)。とりあえず書くことだけは覚悟が決まったといいましょうか。それは私の義務のひとつかもしれません。

 とりあえず今日もちまちまと書いていきたいと思います。そんなmaiでした。