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少女フェミニストの備忘録

6月24日第7回フェミ勉 レジュメ『現代思想ガイドブック スピヴァク』 第4章から第5章まで

 6月24日には第7回フェミ勉が開催されます。皆さん、ぜひご参加にご協力を宜しくお願い致します。

 参考書・レジュメは以下になります。

 

ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク (シリーズ現代思想ガイドブック)

ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク (シリーズ現代思想ガイドブック)

 

  

 第4章 「第三世界」女性と西洋フェミニズム思想(p.119~151)

スピヴァクフェミニズム思想へもっとも重要な貢献のひとつ→「第三世界」女性の現実の歴史と生活に考慮すべきである

スピヴァクの挑戦→フェミニズムとはあらゆる女性のために語るものだという普遍的な言明 スピヴァクの西洋フェミニズム思想への執拗な批判はフェミニズム思想の議論と緊急の政治的課題の強化を目的

フェミニズム西洋思想の限界と盲点を検討する 次にスピヴァクがいかに初期英米圏のフェミニズム文学批判の政治的主張に「第三世界」女性の批判的視点から異議を申し立てていったか。そして「第三世界」を基盤にして、女性が多国籍企業による猛烈な搾取→フェミニズムの政治力学の批評的枠組みと将来の目標を再定義

 

フェミニズムと差異の問題(p.121~127)

ボーヴォワールジェンダーとは社会的構築物であるがゆえに社会的・政治的闘争抗うことも可能

「反本質主義的」なフェミニズム思想家・バトラー→名づけの政治性

ジェンダーアイデンティティの言説は家族・国家・教育・法・メディアといった強力な家父長制的体制によって強化され制御されている。

スピヴァク→マイノリティ集団に対する否定的ば表象自体を模倣する戦略的本質主義

男女の性的差異への関心から「第三世界」の女性と「第一世界」の女性とのあいだの文化的差異へ移動

 

学びの解体〔unlearning〕と西洋フェミニズムへの批判(p.127~130)

どんな読解行為も社会的・政治的に深い意義をはらんでいる→「第三世界労働の搾取こそが合衆国の大学を養う源泉であり続けている」

読むという営みへの唯物論的解釈→新植民地主義におけるジェンダーの搾取に関してフェミニスト的読解の限界

西洋の学問的モデルが「第三世界」女性を平然と無視できる特権に異議申し立てる→「私たち自身の損失として私たちの特権を学びつつ解体する」→文学や歴史・メディアなどにおいて世界の支配者表象がいかに力のない集団の生活や体験を忘却するように促しているかを認識

学びつつ解体というスピヴァクの概念がフェミニズムに理論・批判に及ぼした影響

→チャンドラ・タルペード・モハンティ「西洋のまなざしの下で――フェミニズムの学問と植民地主義言説」(1988)

①西洋のフェミニズム的学問における「第三世界女性の生活の物質的・歴史的雑多性を植民地化する」傾向を批判

②「特権と自民族中心主義的な普遍性を自明視する態度」こそ「第三世界」に住む様々に異なる女性たちに破壊的な影響力をもたらす→モフセン・マフマルバフ監督『カンダハール』(2001)ブルカをかぶることが女性の屈従のまぎれもないしるしであることを強調→しかし特定の状況下では女性がわざわざ自分から選択してヴェールをかぶることもあるex.フランツ・ファノン『革命の社会学』、ジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』

国際的枠組みにおけるフェミニズム――スピヴァクによるクリステヴァ批判(p.130~138)

文化的違いを無視してすべての女性に代わって語るという西洋フェミニズムの普遍的主張を問い直す

ジュリア・クリステヴァの自己耽溺的な傾向=西洋的な女性の主体構築の文脈で中国女性の歴史や生活を表象しようとする姿勢を分析→スピヴァクの個人的逸話

インドが植民地状況を脱しても自分たちは解放されなかったという洗濯婦たちの思いこそが、西洋フェミニズムの「第三世界」女性に対する限界を照らし出す→「知識産業に従事するフェミニストとして私たちは彼女たちから学ばなければならない」

スピヴァクの警告:西洋フェミニズムが見落としがちな「第三世界」女性の歴史・闘争・その特殊な物理的条件を強調する→ジュリア・クリステヴァ『中国の女たち』(1977)が端的に問題が表れている

「沈黙の視線」そのものが西洋の知や主体の権威に挑戦するための手段としての他者の文化を喚起する西洋ポスト構造主義的知識人にありがちな傾向を象徴

→村人たちがいかにクリステヴァを部外者としてとらえているかをまず想起

クリステヴァが古代中国における母系的系譜にひかれるのはフェミニストユートピアを提供するように思われた→しかし現代における他の重要な社会的文化的要素から切断して女性というカテゴリーを考えることに繋がる

スピヴァククリステヴァの中国女性論は、彼女が中国における歴史的位置について包括的な一般化をおこなっていることからも自己中心性を露わにする

クリステヴァの『中国の女たち』での政治的関心は中国の貧農女性の現実の物理的現実になく、ヨーロッパ文化における女性の身体的存在の理論的抑圧にある

クリステヴァの関心はそもそも中国文化や社会における女性の歴史的位置にない

クリステヴァによる女性の性的欲望の革命的性格づけはあまりに直裁で、女性同士の間に存在する重要な文化的・歴史的違いを無視している→より洗練された見取り図「女性のセクシュアリティの地理学」を立てる

 

女性のセクシュアリティの地理学(p.138~141)

フェミニズム思想において女性の生殖を目的としない性的快楽を称揚することが、「第三世界」女性の政治的目標としてどれだけ有効であるか→女性割礼を例に

クリトリス切除をするすべての女性の性的快楽の象徴的な抑圧として再定義するスピヴァクによって、それは女性の社会的・経済的苦難という全般的状況を示すものとされている

「第一世界」においては「女性性を定義する子宮に基づく規範」が、「家屋の所有と核家族の神聖さに至上の価値を置く発達した資本主義の全体」を支えているのだが、「発達が遅れた国では性的主体に象徴であるクリトリスを抑圧することが、そうした状況にある女性に対する特有の弾圧として機能しており、そこでは女性は多国籍企業が遠隔理操作で利益を抽出するシステムないで最下層にある低賃金労働として位置付けられている」

「乳房の与えしもの」において「女性の身体の過剰さを示しているのが、クリトリスの刺激による性的絶頂ではなく、がんである」

 

「三人の女性によるテクスト」と女性的個人主義に対する批判(p.141~150)

女性のセクシュアリティの地理学を作るというスピヴァクの探求をさらに発展したのが、「三人の女性によるテクストと帝国主義」(1985)だ

「三人の女性によるテクストと帝国主義」が言及するのはシャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』とジーン・リス『サルガッソーの広い海』メアリー・シェリー『フランケンシュタイン

ジェーン・エア自身によるブルジョア女性個人主義の語りのなかに隠された帝国主義的サブテクストをたどる

バーサ・メーソンの歴史的意味 歴史的・文化的に存在を否定されジェーンの西洋女性的自己の安定性を保証するオリエンタルな他者として機能

スピヴァクによる『ジェーン・エア』読解:帝国主義の時代のフェミニスト個人主義として位置づける。バーサとジェーンの間に存在する根本的なジェンダー的差異を説明することができる。女性の個人主義というジェーンの物語が、結婚と子育てという家庭用語でできているとすれば、バーサは「帝国主義の定理」によって定義される

バーサ・メーソンの視点からの『ジェーン・エア』を書き換えであるジーン・リスの『サルガッソーの広い海』

バーサの生産能力のある身体をロチェスターの私的所有物として法的に定義すること→「サバルタンは語ることができるか?」におけるサティの議論を先取りするもの

ジェーン・エア』におけるサティの重要性は多くの家父長制的社会において、女性の生殖能力のある身体を私的所有として法的に定義することが女性主体構築の一般的条件であることを考えれば明らかである。

19世紀のブルジョア女性個人主義と20世紀の西洋フェミニズムとの歴史を結ぶことで、スピヴァクは西洋のフェミニズムの歴史が帝国主義的拡張のプロジェクトと共犯関係にあることを暴く

 

 

第5章 唯物論と価値(p.153~183)

労働者と資本家との間の労働分業という伝統的なマルクス主義の語彙を再活用し、女性の経済的収奪を「第一世界」と「第三世界」との国際的労働分業と関係づける→フェミニズム思想だけではなく唯物思想も必要で、スピヴァクによるマルクスの再読

 

マルクス再考(p.154~158)

共産圏が崩壊して以来、現代の西洋思想にとってマルクスは時代遅れ

ポストコロニアル世界においてマルクスによる19世紀ヨーロッパの資本主義批判がいまだに現代の経済世界に有用という皮肉

マルクスの欠点→資本主義の分析をヨーロッパに限ったこと

第三世界」の借金と現代の国際的労働分業が「デリダ以降のマルクス再読」を理解する文脈となる

マルクス思想にあるヨーロッパ中心主義は批判されるべきだが、価値や政治経済について後期の議論を検討→マルクス思想がポストコロニアル状況における現代の文化・政治・経済を考えるのに重要

 

デリダに従いながらマルクスを読む(p.158~162)

マルクス再読にあたってジャック・デリダ脱構築哲学を通して著作に接近

デリダを通過してマルクスに行くことは、『哲学的』テクストの『文学的』ないしは『修辞的』読解であると言われてしまうかもしれない」←マルクス自身が読解という営みと政治的変革との分割を疑っていたことを見過ごしている→理論と政治の分裂

スピヴァクマルクスの後期の経済哲学に脱構築批評を適用するのも、安直で教条的なマルクス解釈予防→解釈行為から政治的変革への要求が性急すぎる

マルクスの初期思想に哲学的倫理的側面から挑戦する試み

哲学的試み→経済的平等と政治的解放をめざす労働者階級の闘争

倫理的試み→ヨーロッパの産業労働者階級の名の下の普遍的主張が力を奪われた集団を排除していた

スピヴァクの焦点→『資本論』や『経済学批判要綱』などの後期経済学的著作

後期マルクスを重視する①脱構築的運動を見出している②現代の「第三世界」における女性の生産能力のある身体に対する搾取への具体的取り組み

→男性中心的・ヨーロッパ中心的なマルクス思想を是正する試み

 

19世紀ヨーロッパの資本主義から現代の国際労働分業へ(p.162~164)

19世紀ヨーロッパの労働者階級の男性の状況だった

現代はグローバル資本主義が発展途上のポストコロニアル国家で労働者階級を雇用

19世紀のヨーロッパ男性労働者と現代の女性労働者の非対称性

 

労働者階級の身体を再考する(p.164~166)

モハッシェタ・デビ小説「慈悲深きドゥーロティ」 国家独立にともなう解放の約束にも関わらず、債務労働や売買春のようなジェンダーと階級に基づく旧来の搾取形態がポストコロニアルであるインドで行われていることを強調

サバルタン女性の身体に刻まれた知がいかにマルクスの経済的・政治哲学的再考に結びついているか

 

スピヴァクマルクスと価値をめぐる労働理論(p.166~173)

「価値の問題に関するとりとめのない省察」→観念論によって意識として、唯物論によっては労働力として、主体が構築される

『ポスト植民地主義の思想』のインタビュー 「いわゆる『第三世界』こそが『第一世界』の富と文化的自己表象も可能性を産出していると示唆することが可能だ」→マルクスによる19世紀の価値理論を現代の「第一世界」と「第三世界」との国際的労働分業に関係づけることによって、マルクスの労働価値理論がいまだに重要であると力説

注意:マルクスは「使用価値」という概念を理論化しなかった

ある商品の価値はその物体の内在的特質や使用価値で決まるのではなく、交換価値から使用価値を抽象的に抜き出すことによって決められるex.ナイキの運動靴の価格

→抽象化された人間の労働をおこなう亡霊のような身体が忘れ去られ、交換価値の金銭と資本の流通への交換が不可避で普遍的な過程として表象されてしまう

マルクスの労働価値理論を支える論理に異議を唱え、それが資本主義と社会主義との安定した対立関係に基づいていると批判

人間の労働という亡霊のごとき存在が「不確定性の可能性」として機能する仕方

マルクスの思考法を批判 背景:デリダによる西洋哲学の二項対立の脱構築という支え

両面価値的で幽霊のような使用価値のありようを強調すること→「価値を交換価値とし、交換価値以外の何ものでもないものとして」書き換えるマルクスの批判者たちの立場に異議を唱える

火急の政治問題にどのようにスピヴァクの政治理論が適用できるか?

 

経済決定論に対する批判(p.174~178)

マルクスの欠点:ヨーロッパ社会における男性労働者と資本家とのあいだの労働者分業を特権視し、それを社会関係の構造原理としたこと→ルイ・アルチュセールは経済決定論→ジェンダー・人種・セクシュアリティに基づく社会的抑圧が見過ごされる

ワルターベンヤミン「文化の記録でありながら、同時に野蛮の記録でないようなものは何ひとつない」

→西洋のカルチュラル・スタディーズによる経済を度外視した文化やアイデンティティへの注目傾向が、中東での西側諸国の外交政策インドネシアなどとの「自由」貿易協定という現代の野蛮を見過ごしている

=「グローバルに機能する経済を無視した『文化主義』では、それに伴っている野蛮の生産に取り組むことができない」

マルクス主義の経済的視点こそ現代のグローバリゼーションや国際的労働分業を批判的に理解するのにきわめて重要

マルクスの読み直し:マルクスの労働価値理論が現代のグローバルな経済システムに関して持つ批評的・政治的重要性を指し示す

→「労働価値論をポスト産業社会では役立たないと批判したり、経済的指標として意味がないと考える人たちは、第三世界という闇の存在を無視しているのだ」

特に力説「第三世界」における労働者階級の女性たちこそが「国際的労働分業最大の犠牲者」ex.多国籍企業の利潤とスリランカの女性の稼ぎ

 

資本論』を脱構築する(p.178~182)

現代のグローバルな資本主義の理論が消去しようとしているのは、サバルタン女性の労働力という使用価値

サバルタン女性の生産的な身体の使用価値こそがまさに、第一世界における蓄積と安くて使い放題の資産を産んでいることに注目

資本主義は人間の身体に備わった余剰エネルギーを使うことで、資本家は実際に支払うより多くの労働を得ることができる

マルクス主義それ自体が哲学的システムによっては資本主義の社会的不正義を説明できない