Don't cry baby,please !!

少女フェミニストの備忘録

2.5次元に恋をして 愛ある消費(?)

おはこんにちは、今日も推しが可愛く、空気が美味しいと感じるmaiです。

こんなに推しが愛おしいと感じると一種の信仰だよなあと悟りつつある昨今。アルスマグナはやはり期間限定のユニットだからいつか失われるときが来て、それが怖いから今いける現場があれば多少、無理してでも行くという、策略にはまりつつあります。原理主義者にならないように気をつけたいと思います。

今日は資本主義とアイドルについて考えていけたらなあと思います。

私はアイドルにハマるっていうことが理解できなかった人間なんですが(過去形なのが悲しい)、まず岡崎京子さんの『ヘルタースケルター』が頭に浮かんじゃって。人間を消費することは良くない、という価値観を刷り込まれてきました。

 

ヘルタースケルター (Feelコミックス)

ヘルタースケルター (Feelコミックス)

 

 

人間を消費しているっていう感じがあって、アイドルって身を削ってそれを商品にしているんだなあと思うと他人事じゃなくて、もっと消費する側もせめてもリテラシーやら倫理やら道徳やら礼節を持たないといけないという自意識があります。

そして。初めて参加したアルスマグナのイベントが「ミニライブと握手会」というもので。ちゃっかりメンバーの皆さんと握手しつつ、冷静な頭で「これって買売春とどこが違うのかしらん?」と思っていました。違うと言ったら確かに違う。アルスは合法的に・職業としてその身体を使っているわけだし、別に性的な接触を要求されているわけではない。しかし需要があって供給として(性的じゃないとしても)接触するというのはどこか買売春の匂いを感じさせるんですよ。それでも握手はするけれど。

「別に難しく考える必要なくない? 商品が並んでいたら買うでしょう? アイドルってそういうもんでしょう」とよく諭されます。

確かにアイドルを応援するなら、そのアイドルにお金を落とし、貢ぎ、搾取されることすら快感を覚えるべきである、と思う。けれども愛ある消費っていうのが本当にあるのかなあということが気がかりなのです。

つまり家父長制と資本制が不幸な結婚をして以来、市場っていうのは女を排除してきたわけで、その市場で自分好みの商品が売られているからと言って、無邪気に市場の軍門に下るというのは屈辱的なんですよね。

つまり私はフェミニストとして「自律している」市場には愛がなく、ヴァルネラブルな存在にこそ愛があると思っていたのですよ。

大きな意識の変換を求められて、今も正直、戸惑っています。

お金で「私があなたに存在してほしい」と言うこと・表明することは可能なのか、ということです。愛なんて関係ない私がATM化すればいいと市場原理主義者は言うと思います。確かに市場の存在だけを考えればそれが正しいでしょう。でもマーケットの外にある事象・出来事を考えると、接触イベントのときどうやって愛を伝えるかが、難しくなる。アルスにこんなに貢いでいます、お金を落としていますと言うのは無粋そのもの。私にとってアイドルとは、アルスマグナとは公的領域と私的領域の間に存在する非常に脆いものだと感じるんですよ。だからこそ愛がある消費という矛盾した言葉が成立するのです。

愛ある消費――それは「(女性による女性のための)愛のポルノグラフィ」(byジョアナ・ラス)と同じくらい矛盾をはらんでいるということです。

私は先日、書いたジュディス・バトラージェンダー・パロディ論つまり簡単に言うと、男性的な行動を女性がとってみせること、は結局男性性を強固にするように感じてしまうのです。萌えが脊髄反射ならば、動物化しているのならば、なおさらジェンダー・パロディは意識されず、ジェンダー・ロールの再生産になってしまう可能性の方が大きいのでは? と思います。

閑話休題。愛ある消費っていうのがいかようにできようか、と本当に手探りで、ちゃっかり握手なんかもしつつ、推し事を楽しんでいるわけですが(今回のリリースイベントは行けないのが悲しい)、どのように愛を伝えようか、と日々悶々としているわけです。まあ目の前に推しがいたら、変な声しか出ないんですが、これだけ私にとって私の推しという存在を考えているよ、というのは愛の証左とも思うんですけどね。でも、もしアルスのメンバーがこのブログ見たら速攻にブログの存在も消します。ツイッターも消します。私の自意識は私の問題だからです。愛する相手に自意識をすべてぶつけるのは幼いですよと思って、愛って本当に難しいね。本当にみんなアイドルのことどう愛しているのか、誰か教えて欲しいです。

 

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)

 

 これ読めば少しはわかるのかな? 濱野さんのこの本、ちょっと気になっています。アイドルは偶像っていう意味だから、あるアイドルを推すということは、メンタル面では本当に一種の信仰です。