Don't cry baby,please !!

少女フェミニストの備忘録

母性というファシズム――少女フェミニストの苦言

Metoo運動や女性専用車両アンチへのタグがTwitterで流行っていますね。これが一過性の流行りではなく、性暴力を失くす運動に繋がってくれればと思っています。

今回のブログは、非常にセンシティブで扱いづらい、母性とファシズムについて書こうと思います。

私のTwitterで起こったことをやっと文字化できると思って書きます。

私はあるアイドルを応援するためのサブカルTwitterアカウントを持っていました。アイドルを応援するためのアカウントだったので、政治的な発言も控えていましたし、する必要もないと思っていました。

そこで一瞬だけ浮き出た政治的、きわめて政治的な発言を今でもありありと想起させられます。

ある女性が「子どもに(性的)いたずらをするヤツは、死刑になればいい」と発言したときに「賛成。死刑にすればいい」というリプライがつきました。

私はこれにぞっとしました。

そんなこと当たり前じゃないか、というかた。どうぞもう一度考え直してください。私は性暴力の加害者を擁護したくてこんなことを書いているのではなく、本当は彼女に問いたかったのです。

「あなたのお子さんが性犯罪者になったときに、同じことを言えるのか」と。

私は一連のツイートで母性というファシズムを実感せざるをえなかったのです。リプライをつけた方はまさしく「お母さん」でした。

ここで私自身の経験を持ち出すのは卑近な例かもしれませんが、少し書かせてください。

小学生高学年のとき私は性被害にあいました。神社で遊んでいるときに「指を強く噛んでくれ」と言われ逃げられなくなってしまい、男性の指を噛みました(指を強く噛むことにどんな性的な意味があるのか、私は未だにわかりません)。

そのとき神社で遊んでいた親のいた5名くらい子どもは、親に守られていました。そのとき私は悟りました。「親と言っても『自分の子ども』以外を守ってくれる大人なのどいないのだなあ。私を守ってはくれないのだ」と。私の経験した性被害は守るのは「自分の子ども」だけというわかりやすい母性の表れかたをすることを悟りました。

時を経て、私はフェミニストになったのですが、この経験は私にとって根深いものとなりました。母性というありもしない幻想は信じちゃいけない。そしてそれを盾にしたときどんな悲劇が起きるのか、よく考えなくてはいけないと思うようになりました。

愚民社会

愚民社会

 

それは要するに「子どもたち」と言いながら、自分の子ども以外に、あるいは他者に普遍化できていないんです。西のほうが安全ということで広島に疎開した人間がけっこういますけど、それってかつて被爆地であった広島側から見るとちょっと無神経かもしれない、とは感じないのか。

(p.123) 

 この対談は3.11以降に行われた本の一部です。

私は大塚英志さんのこの言葉に実感をもって頷くことができました。私はTwitterで起きた事件はまさしく母性というファシズムだと確信しています。他者の存在を鑑みないで母性を振りかざすとき、それが国家という水準に無条件に結びついてしまうとき、日本はろくなことが起こらなかった。「銃後の母」(まさしく母性)という言葉がうまれたことも胸に留めておく必要があるでしょう。

ここである懸念――杞憂であればいいのですが――が生まれます。それは女性の分断です。子を持つ女性/子なし女性という分断が容易に行われてしまうということです。「あなたは子どもがいないから、切実な訴えがわからないのだ」と言われたら、私はその感情に対し理論展開ができなくなります。私が訴えたいのはそうではなく、性暴力を本当に根絶させたいなら女性同士が連帯する必要があると思います。それは母性ファシズムではできないと思っております。

母性というファシズムは母子の一体感と、他者を排除し、想像力を失うことだと思っています。これをつまびらやかにしたひとは少ないです。それだからこそ私は書かなくてはいけないと思いました。

たぶんTwitterで「死刑にすべき」と言ったかたは、それに賛同したかもそれがどんなに政治的な意見か、たぶんわかっていないと思うのです。しかし私を窒息させるには十分な言葉でした。

母性を持っていると自負されるかた。どうぞ自分の子どもだけを守るだけじゃなく、他の子どもも守ってあげてください。Metoo運動もアンチ女性専用車両へのカウンターも参加されてください。

再度、書きますが母性を振りかざした瞬間に母と子/それ以外の人間、という対立が生まれてしまいます。それは多くの他人を不幸にしてしまう可能性があることを忘れないでください。